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「ゴジラ-1.0」考察 !「官」のシンゴジラと「民」のゴジラ-1.0! 現代の倫理観で世界大戦のリターンマッチ!

 こんにちは!今回は、「シンゴジラ」から7年ぶりの新作ゴジラ作品「ゴジラ-1.0」について語っていきたいと思う。

   僕はゴジラ-1.0の予告を見た時、設定だけで、すでに半分は成功していると思った。戦後の何も無くなった日本に、さらにゴジラが上陸し追い討ちをかける。その設定部分だけでも凄まじい絶望感を予感させ、めっちゃくちゃ興味を引かれる。

 さらに、戦後の軍は解体され、自衛隊もまだ存在しない、国家として武力が弱体化しきった日本がどうゴジラを倒すのか?という疑問もあり、公開前からかなり引きが強い作品であった。

 そして、実際に今作を観た感想としては、良い部分と悪い部分が極端に分かれていて、惜しい作品になってしまったというのが僕の個人的な結論だ。そして今作はシンゴジラでやらなかった事を突き詰めていて、ある種シンゴジラと対となる作品だと感じた。シンゴジラの方は、官民でいう「官」、つまり官僚など政治の中枢を描いているのに対して、今作は、「民」の方、市民側が主役の話なのだ。そして、ここからはゴジラ-1.0の良かった部分、悪かった部分を、シンゴジラとの比較も交えつつ話していきたいと思う。それでは初めていこう。


○マイナスゴジラは「戦争」の比喩! 銀座で起こる3回目の核爆発!

 まず今作の映像面では、かなり良い部分が多い。序盤の大戸島でのゴジラ初登場のシーンでのゴジラの動きは、生物感が強く、荒々しく独特な動きでインパクトは十分だった。

 そして、敷島達が新生丸でゴジラと戦うシーンも、海上でゴジラに追いかけられる緊迫感や怖さが出ていたし、その後の戦艦「高尾」をゴジラが沈める所も、ゴジラの強さ、絶望感が感じられてよかった。

 問題は、銀座の場面である。ゴジラが銀座の町に現れるのだが、まず僕が期待していた程ゴジラが派手に町を壊さないのだ。さらに、典子が乗った電車がゴジラに咥えられ、典子大ピンチ的なシーンがある。このシーンでは、ゴジラが典子を死なせないように気を使いながら暴れてくれているようで、観ていて少し冷めてしまった。さらに、ゴジラがすぐそこまで来ているのに、逃げずに実況しているレポーターがいるなど、現実味が無さすぎてコメディにしか見えないシーンがある。これらの描写のせいで、せっかくのゴジラの怖さや緊張感が台無しになってしまっているように感じた。

 しかし、ゴジラの放射熱線のシーンは良かった。放射熱線による爆炎や黒い雨は、絶望感があり、衝撃的な威力だ。このシーンは、明らかに核兵器を彷彿とさせる表現がなされている。つまり今回のゴジラとは、「戦争」の比喩なのだ。放射熱線のシーンは、戦争が終わらず、銀座に3発目の核兵器が落ちたと考えればいい。(シンゴジラでは、ゴジラは311の震災や原発の比喩だった。そして、現代の日本の時代性や問題を見事に怪獣映画の形式で表現していた)。

 ○「公」から「私」へ!現代の倫理観で行う大戦のリターンマッチ!

 このように、今作でのゴジラの戦いは、第二次世界大戦の延長戦(戦争)である。しかし、今までの戦争と違うのは、大戦中は国という「公」のために「私」を犠牲にし、命を投げ出す事が当然の感覚であり、それが出来ない敷島のような人は卑怯物扱いされていた。しかし、ゴジラとの戦いでは、国という「公」ではなく、あくまで自分達が未来で生きるための戦いになっていた。これは現代の倫理観に近い。今作でのゴジラとの戦いは、現代の倫理観で行う第二次世界大戦のリターンマッチでもあるのだ。

 だからこそ、主人公の敷島は、元特攻隊という、戦中の価値観の象徴のような人物なのだ。特攻隊として死ねなかった事を負い目に思っている敷島が、死んで国を守るのではなく、自分が生きるために戦うという選択をする事が、この映画の重要なテーマである。

 このテーマ事態は全然いいと思う。しかし問題なのが、敷島が、どの時点で自己犠牲により使命を果たす事より、生き延びる事を選ぶという内面の心情の変化があったのかが、よくわからなかった。むしろ敷島はギリギリまで、自分が死んでもゴジラを倒すという、自己犠牲的な戦中の価値観のまま戦っているように見えてしまったのだ。

 そして、残念ながら僕は、敷島や典子といった登場人物達に感情移入する事が出来なかった。その原因の1つとして、演技がオーバーすぎるという問題がある。大仰な台詞回しなどが多く、リアリティが無さすぎて、ちょっと臭く感じてしまった。これは恐らく、役者さん達の演技力の問題ではなく、そういう演技を求めた演出の方にあるのではないかと思う。もちろん、こういう大仰な演技が全て悪いという訳ではないのだが、僕はすごく気になってしまった。
 
 シンゴジラでは、人間ドラマはバッサリカットされており、それが非常に功を奏していた。今回のゴジラ-1.0では、シンゴジラでやらなかった人間ドラマの部分にも重点が置かれていた。人間ドラマを入れる事はいいのだが、少し違和感を感じる場面が多かった。

 そして終盤の海神作戦だが、ここはすごく楽しめた。ゴジラを倒すための作戦として非常に面白い。作戦内容としては、フロンガスでゴジラを深海に沈めダメージを与える。次に浮き袋で引き上げ、減圧で仕留めるという物である。ゴジラは元々海からくる生物であるという事から、水圧でダメージを与える発想はなかった。かなり斬新な内容ですごくワクワクした。そして戦艦と敷島が乗った戦闘機によるゴジラとの海上戦は、映像的にも、邦画の水準を大きく越えていて、すごく見ごたえがあった。シンゴジラの方では、陸での戦いだったので、海でのゴジラとの戦いはまた違った面白さがあった。

 基本的にはかっこよくて面白かった海神作戦であるが、少し気になった部分がある。作戦中に、他の船が助けに来てくれるシーンがあり、すごく熱いシーンなのだが、その際に船員同士が喜びあうやり取りがある。ゴジラを倒した後ならいいのだが、一瞬の油断が命取りになるゴジラ討伐作戦中に、ちょっと気を緩めすぎではと思ってしまった。

 そして海神作戦でゴジラを追い詰めるも、倒しきれず、放射熱線を吐こうとするゴジラにより絶体絶命になるシーンで、無音スローになる演出がある。このシーンも、敷島が戦闘機で突っ込んでくる事がまる分かりであるため、あまり緊張感がなかった。良くも悪くも今作は、展開的には予想外な事があまり起こらなかった。

 ○首のアザは被爆や精神病を含む「戦争の傷痕」の比喩!

 後は典子の首にあった謎のアザであるが、あれは物語的には、放射熱線を吐く際に飛び散ったゴジラの細胞により、瀕死の典子が再生したということなのだろう。これは、例えば現実の戦争でも、原爆による被爆者や、敷島のようにPTSDになる人がいるように、戦争そのものが終わっても、戦争の傷痕は残り続けるという事の比喩だと思う。倒したはずのゴジラがラストで復活するような描写があるのも、ゴジラ(戦争)は終わっても、またいつでも起こりうる可能性があるからだ。現代の日本はもはや「戦後」ではなく、新しい「戦前」なのかもしれない。

 僕のゴジラ-1.0の感想はここまでだ。色々言ってしまったが、すごく面白かった。特に映像面は、邦画でもここまでやれるんだと思わせてくれた。何年後になるかわからないが、また新作ゴジラが楽しみである。

 最後まで読んで下さってありがとうございました!ではまた🙋

 

 

 

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