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「デデデデデストラクション」後章 考察! 侵略者は原子力(超常性)を支配した人間の未来? 今作はセカイ系として致命的な弱点がある?

 こんにちは! 今回はデデデデ前章後章の総括的感想と考察を話していきたいと思う。今回僕が話したい事は、今作はストーリー的には、残念ながらあまり面白いと思わなかったということや、侵略者や母艦などが、いったい何を意味していたのかということについて語っていきたい。自分で言うのも何だが、かなり珍しい解釈をしていると思うのでぜひ最後まで読んで欲しい。それでは初めていこう。

 まず、今作の作中には「イソベやん」というドラえもんのパロディ漫画が出てくる。その理由として考えられるのは、今作にもドラえもんで扱っているテーマが入っているからだ。わかりやすいのは、小学生の時の門出が侵略者の道具を使い、間違った正義を執行して失敗するという一連の流れは、秘密道具を使って最後には失敗するのび太と同じだ。

 秘密道具という超テクノロジーがあっても、使う側の人間が愚かだったり、間違った使い方をすると、ロクなことにならない。つまり、テクノロジーが際限なく進化したとしても、使う側の人間が生物として進化出来ない限り、必ずどこかで問題がでるということだ。これがドラえもんとデデデデの共通したテーマである。

 この事からわかるのは、侵略者の持っている技術や道具というのは、ドラえもんの秘密道具と同じで、人間を超えた超常的な力の比喩なのだ。例えば母艦の動力源であるF元素は明らかに原子力の比喩であるし、母艦は原発的に描かれている。そして、311の震災や原発事故そのものも侵略者騒動のモデルになっている。

 では、そういった超常的なテクノロジーを持っている「侵略者」とはいったい何なのか? 一応作中での設定では、人間より先に地球に来ていた原住民という事になっている。しかし、メタ的に解釈すると侵略者というのは、人間の未来の可能性の1つなのだ。要は進化して原子力技術を始めとした、超常的なテクノロジーを完全にコントロールできるようになった未来の人間達の比喩でもある。(そういう意味では、侵略者達はドラえもんではなくセワシ(未来人)だったという訳だ)

 そして、重要なのは、結局侵略者と人間は、作中を通して、わかり合う事ができず最終的に母艦の爆発で共倒れに近い結果になることだ。(もちろん大葉くんとおんたんのように個人レベルならわかり会える事もあったのだが、人類や侵略者全体としてはやはり共存や協力に失敗し、両者とも破滅に近い事になっている)

 この結果が意味していることは、原子力を始めとした、超常的な力を完全にコントロール可能になるほどの未来(侵略者)と人間は相容れないという事だ。なぜなら、最初にもいったように、いくらテクノロジーが進化しようと、テクノロジーを使う側の人間そのものが進化せず不完全である限り、必ず問題が起こるし限界がくるからだ。今作は、そういったドラえもん的なテーマを別の要素で描いているという解釈もできる。

 次に話したいのが、今作のストーリーについてである。おんたんが門出を助けることで、結果的に世界が崩壊しかけるという、割とコテコテのセカイ系的想像力が今作には入っている。おんたんが門出を助けたことで結果的に世界が終わりかけるというような話だ。

 残念ながら、僕は今作のこのセカイ系なストーリーにはまったくノレなかった。 おんたんが世界よりも門出を選ぶという選択に全く納得も共感も出来なかったのだ。もちろん、おんたんにとって門出が大切な存在なのはわかる。しかしそれも、セリフで「絶対だからです」といっているだけで、ストーリーや描写から、そこまで門出がおんたんにとって絶対な存在だと伝わって来なかった。おんたんにはお兄ちゃんや他の友だちなど、門出以外にも大切な人はたくさんいる。その門出以外の大切な人達と門出は何が違うのか?なぜ大切な人は他にもいる中で門出だけが絶対なのか?世界が滅びかけ門出以外の大切な人が死んだとしても、門出を助ける事をおんたんが選ぶ事に説得力や共感を得るには、そのための描写が全く足りていないのだ。

 ましてや後章の方は、おんたんと大葉くんの関係性の方がメインになり、門出が完全に蚊帳の外になるため、ますます門出がおんたんにとって絶対であるという説得力が薄れたと感じた。

 さらに問題なのは、おんたんは並行世界移動の際記憶があいまいになり、自分の選択により侵略者が来てしまった事を自覚しているかどうかも定かではない。しかし仮に自覚がないとすれば、おんたんは自分の選択に葛藤も責任も何も感じないため、そもそも物語として成立しないような気がするのだ。

 今作は世界よりも身近な友達を選び、もうすぐ世界が終わるとしても、自分たちの日常を生きるという話しだ。おんたんの選択により結果的に世界の運命は変わってしまったが、それを仮におんたんが自覚していたとしたら、それでもあえて残された時間で今まで通りの日常を過ごすのか、それともその責任を感じて、大葉くんのように何かしらの行動をおこすのかの選択をすることが出来た。別におんたんが自分の選択により世界が終わろうが、門出を救ったことは間違っていないと考え、世界が終わる瞬間まで青春謳歌するという結論を出すならそれで全然いいのだ。問題は、自覚がなければそれすらもできないという事と、門出がおんたんにとってそこまで特別で絶対な存在に見えない事だ。

(そもそもの原因である侵略者の道具を使っての門出の暴走からの死も、門出は自分の意思で人を殺してしまっているため自業自得感があり、余計に門出を助けるおんたんに共感しづらい)

 例えば、同じセカイ系作品でも、天気の子の帆高などは、世界の天気よりも陽菜の方が大事だと思っている事にある程度の説得力や切実さがあり、共感もできた。さらに、最後は自分の選択により世界を大きく変えてしまった事に対する責任を自覚しつつも、それでも陽菜を選んだ自分の選択を認める。このように、自分の選択に対する責任を自覚したうえでの決断や、世界よりも彼女を選んだことに対する切実さや説得力がなければ、セカイ系作品としてちょっと厳しいのではないのかと思う。

 あと今作を見ていて思ったのが、絵柄はデフォルメが聞いていて可愛らしい絵柄だが、実際の社会問題などの鋭い風刺をしようとしている描写が多いと思った。最初にもいったように、今作は311の原発事故や、その当時の社会状況などがモデルになっている。原発事故の時や、コロナの時もそうだが、そういった大きな社会問題が起きた時、人々は何を信じていいかわからなくなり、自分の信じたい事を信じてしまいやすい。そういった状況下では、陰謀論的な言説が力をもってしまい、余計に社会不安や混乱が加速するというインフォデミック的な人災がおきる。(コロナならワクチン関連、311の際は放射能汚染についてデマを含めた大量の情報が拡散され混乱がおきた)今作はコロナや原発事故が侵略者や母艦に置き換えられ、それにともなうインフォデミックによる社会混乱が風刺的に描かれていた。

 更に、母艦が東京上空に浮かんでいるという異常な状況下にもかかわらず、いつしかそれが日常の一部になってしまっているという、日常の風景に異常なものが侵食し溶け込んでいるというのは、確かにリアルだと思った。311の際も、原発から関東の広範囲に低線量の放射線が漏れ出し、日常の中に放射線という異常なものががジワジワと侵食してくる不思議な不安感や空気感があった。その独特な空気感や諦観を今作はリアルに表現していたと思う。

 キャスティングに関しては、あのちゃんと幾多りらさんの演技はすごく上手かったしキャラにもハマっていた。今作のキャラ達は全体的にセリフ回しがちょっと痛くて、人を選ぶと思うのだが、この二人の演技力のお陰で多少緩和していたと思う。おんたんは元々中2的キャラだからセリフが痛いのはいいとして、門出や先生までセリフまわしがちょっとアレなのが少し気になった。まあこれは個人的な好みだとも思うのだが。

 僕の言いたい事はこんな所だ。色々いってしまったが、あくまで個人的な感想だと思って欲しい。最後まで読んで頂きましつありがとうございました。

 

 



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