『ガッツン!』と『砂漠』を読んでみた
前回の記事で、伊集院静作『ピンの一』は、福地誠先生のnoteでは箸にも棒にもかかんねーという扱いだと書きました。
しかし、福地先生のリプライによると、「オレが言ってたのは『ガッツン!』のことで、『ピンの一』のことは忘れてた」と。
なお、『ピンの一』はやっぱりつまらないし、『ガッツン!』はあまりの評判の悪さに積ん読状態だそうです😭
というわけで、今月の課題図書として、その箸にも棒にもかからない『ガッツン!』と、今を時めくベストセラー作家・伊坂幸太郎も麻雀小説を書いているという情報を目にしたので、『砂漠』をストーリーと闘牌に注目しながら読んでいきます。
伊集院静『ガッツン!』(2013)
伊坂幸太郎『砂漠』(2005)
【注意】この記事には、各作品についてのネタバレがあります。
『ガッツン!』(2013)
私はすでに『ピンの一』(1998)と『いねむり先生』(2011)を履修済みなので、伊集院静の麻雀小説に関しては上級者と言っていいでしょう。流れ論どんとこい、という感じで『ガッツン!』に挑みました。
すべてが古くさい
タイトルになっている「ガッツン」とは?、と思いながらページを開くと、前書きに説明がありました。
つまりは青春讃歌ということになりますが、この前書きからしてもう説教くさく、先行き不安になります。
『ガッツン!』は、ギャンブル好きのバカとエリートとお嬢様の3人の大学生を主人公とする青春小説です。境遇も大学も違う彼らが知り合い、三角関係になったり、精神論過多の麻雀修行を経て成長していく姿が描かれます。
作品の時代設定は2010年であり、冒頭に2009年の事業仕分けの話が出たりもしますが、まったく21世紀の話には見えません。「女に学問は必要ない」「女がギャンブルをやるなんて」といったセリフが繰り返され、麻雀をおぼえるためにエリートが打ち込むのは、古めかしい一人打ちのコンピューター麻雀です。つまり、ここで描かれているのは、せいぜい1980年代の大学生像なんですね。伊集院静のやる気のなさというか、少なくとも2010年当時の若者を描く気はまったくないことが伝わってきます。
無駄に登場人物が多く、思わせぶりなことを言うわりに活躍しない点は『ピンの一』と同じです。また、メインキャラに作者の好みが反映されすぎている点も、現代の若者には見えない原因になっています。
たとえば、伊集院静は熱心な松井秀喜ファンとして知られていますが、まだ10代のお嬢様が松井を持ち上げる一方で、「イチローはチームワークを知らない個人主義者」などと『カイジ』の利根川みたいなことを言い出したときは、さすがに目を疑いました。何なの? 東進ハイスクール出身なの?
ラストは、夢で阿佐田哲也に麻雀を教わったお嬢様が他のふたりに圧勝し、「第一部・完」(本当に書いてある)と打ち切りっぽく終わります。
闘牌シーンも雑
『ガッツン!』の闘牌は、ほとんどが自分の手牌のみの「一人麻雀」(レベル1)で、たまに「二人麻雀」(レベル3)になります。闘牌よりも麻雀についてのウンチクが語られることが多く、天運とか地運とかもう聞き飽きたよ😮💨
麻雀パートは伊集院先生と親交の深い前原雄大プロが監修していますが、それにしては、闘牌シーンもけっこう雑でした。
たとえば、ギャンブル好きの主人公とお嬢様が、フリー雀荘で他の客とメンバーを入れて打つ以下のシーン。どうでもいいけど、点3のご祝儀東風なんて存在するのかな。
麻雀歴が長いはずの主人公は、1巡目の親で、ドラの三万をポンして中を切ります。しかし、タンヤオ本線にしても、ここは中の重なりも見て1索か、(西が場風に採用されていなければ)西を切るべきでしょう。
その後、主人公は、タンヤオ・ドラ3・赤2(1枚は金)のハネ満(親)のカン⑦筒テンパイを果たします。そして、リーチ者が切った⑤筒を大明カン! いやいや、④筒がフリテンとかでもないので、そこはポンして④ー⑦筒待ちのリャンメンにするだろ。私は祝儀の多い、いわゆるアドゲーは打たないのですが、福地先生が見たら憤死しそう。
ストーリー上、「そんなところに⑦筒があるなんてー」という展開にしたかったのはわかりますが、もうちょっとうまくやれないもんかと思いました。
闘牌は大体こんな調子ですが、特筆すべきシーンとして、「発と中をポンして大三元の可能性がある相手に、白を切っていくか?」という局面が出てきます。これは進研ゼミ…じゃなくて、『科学する麻雀』(2004)で出たやつ!
このように現代麻雀では、「自分の手がそこそこよければ、さっさと三元牌の片割れを切った方がいい」ということになっています。
『ガッツン!』でも、この局面でお嬢様は敢然と白を切ってリーチします。ただ、お嬢様は麻雀を損得では打っていないので、現代麻雀とは無縁の勝負哲学によるものみたいです。そうなると、これは「のみ手で役満を蹴ることによって流れを引き寄せる」という例のアレなんだろうなと思っていたら、あっさり相手に大三元をツモられたので拍子抜けしました。しかも、お嬢様の手は、牌姿も出てきませんでした。何だったんだよ!
『砂漠』(2005)
伊坂幸太郎作品は、以前に何作か読んでいます。読んだ作品には、特殊能力を持った登場人物たちの群像劇が多く、ラノベっぽいという印象があります。実際、伊坂作品のひとつである『魔王』(2005)は、少年マンガ化されてサンデーで連載されていました。また、伏線回収が巧みで技巧的という印象もあります。
大学という名のオアシス
『砂漠』は、大学に入学したばかりの5人の若者(と主人公の社会人の彼女)の卒業までの4年間を描いた青春小説です。その中には、例によって超能力者もいたりするのですが、個性のひとつとして仲間には受け入れられており、ダラダラした日常やコミカルなやり取りを楽しむ作品です。タイトルの「砂漠」とは、卒業後に彼らが直面する荒涼たる実社会を指しており、それと対比することで、モラトリアムを過ごす大学というオアシスの存在を浮かび上がらせています。
大学生の群像劇という点では『ガッツン!』と同じですが、こちらの作品ではそれほど麻雀には重点が置かれていません。
作品の時代設定は2001〜2005年であり、スマホもLINEもX(Twitter)もインスタも存在しません。また、イラク戦争や当時のブッシュ大統領への言及が多いため、けっこう時代を感じました。ああ、もう20年も前なんだなあと。
私は、「主人公が野望をかなえる」とかストーリーに明確なベクトルがある作品の方が好きなのですが、読んでいるうちに彼らのことが好きになるので、まあまあ楽しめました。特に、麻雀パート担当の「世界平和を願って平和を狙い続ける」西嶋には、アニメ『神様になった日』の麻雀回を見ているようなキツさを感じていたのですが、この見た目の悪いブギーポップみたいな西嶋のことも最後には好きになってしまいました。くやしい。
あと、全体的にコミカルな話なので、仲間のひとりが事件に巻き込まれて片腕を失うという途中の展開には驚きました。伊坂先生、麻雀マンガの『てっぺん』でも読んだのかな🤔
あの二大スターが夢の共演
西嶋のキャラによく表れているように、この作品では、麻雀は勝負ではなく、あくまで主人公たちが親交を深めるための遊びとして描かれています。そのため、闘牌も凝ってはおらず、誰がどんな手でアガったか示すだけの「一人麻雀(手牌のみ)」(レベル1)でした。
その中でも、麻雀卓の上に降りてきた文鳥を、西嶋が1索に見立ててアガるシーンは、アホらしくて面白かったです(牌姿は小説内の描写から適当に作成)。
また、『科学する麻雀』が参考文献として挙げられていたので、どこに出てくるんだろうと思っていたら、『ガッツン!』と同じく「白と発をポンして大三元の可能性がある相手に、中を打っていくか?」という議論の中で(書名は出てきませんが)言及されていました。こっちもかよ!
それだけではなく、何と、このシーンではあの男についてもふれられていました。
この持ち上げっぷりよ……。ショーちゃん、よかったな!
つまり、このシーンでは、とつげき東北と雀鬼の夢の共演が実現してるわけですよ。ほえー😲
伊坂幸太郎の麻雀観
雀鬼の著書からの引用以外にも、『砂漠』には麻雀についての印象的なセリフがいくつか出てきます。
麻雀を扱った作品では、人生を麻雀にたとえることはよくあります。作中のこういったセリフに表れているように、デジタルとアナログ(またはオカルト)では、伊坂幸太郎は明らかに後者にシンパシーを抱いているんですね。そして、この作品が『科学する麻雀』(2004)の翌年に出版されたことを考えると、デジタルの波にさらわれそうになっている時代に対するささやかな抵抗と読むこともできます。
つまり、この『砂漠』という作品は伊坂幸太郎の『昨日の世界』なんだよ! 読んだことないけど。
伊坂幸太郎は、『砂漠』出版から5年後の2010年に、原作を手がけた映画『ゴールデンスランバー』公開のタイミングで、『近代麻雀』のインタビューを受けています。このインタビューで、伊坂先生は麻雀歴や麻雀観を披露していますが、『砂漠』から読み取れる内容とほとんど変わりありませんでした。
麻雀歴としては、小学生のころ父親に麻雀を教わり、「学生生活を100%とすると30%ぐらいは麻雀に使った」「学生時代は麻雀が一番楽しいイベントでしたね」と言うほど、大学時代は麻雀に打ち込んでいたそうです。伊坂先生は1971年生まれなので、大学時代は1990年代初頭になります。
また、「ものすごく負けていて悲しい人がいる状況が切なくて」、自分がリードしているときに負けている人がアタリ牌を切ってきたら見逃すこともあるというエピソードは、雀鬼の「オーラスで全員の点数に差がないのが一番いい麻雀」というセリフと通じるものがあります。『砂漠』と同様に、伊坂先生にとって、麻雀は勝ち負けよりもみんなで楽しむことが最優先なんですね。そこから、確率や統計に縛られるよりも、流れやツキがあることにした方が楽しいという麻雀観が出てきています。
伊坂先生は麻雀マンガもけっこう読んでいて、「僕の中で”強い男”のイメージの根幹にあるのは赤木かもしれない。あのまったく揺れない心っていうのは、僕に全然ない部分なんで。キャラクター創りにも影響を受けているかもしれませんね」と言っていたのが個人的には印象深かったです。
両作品を読んでみて
1冊だけでは少ないので、2冊くらい読んでみようという適当なチョイスでしたが、意外にも、大学生数人の麻雀をまじえた群像劇という同じタイプの小説を読むことになりました。奇しくも大三元談義が両方に出てきたのも驚きでした。また、このふたつの小説はメッセージ的にも近いところがあって、どちらも「人生も麻雀も、計算や確率ばかりでは推しはかれない」みたいなことを言ってるわけです。
ただし、小説としての面白さは、『ガッツン!』より『砂漠』の方がはるかに上回っていました。『砂漠』のキャラにくらべて『ガッツン!』のキャラは作り物感が強く、あまり好きになれなかったんですよね。リアリティがあれば面白いというわけでもないと思いますが、これまで読んだ伊集院作品の中では、作者の実体験に近い『いねむり先生』が一番面白かったです。
前回の記事と合わせて、これまで10代の若者が主人公の麻雀小説を4作読んだことになります。1940年代が舞台の『麻雀放浪記』や1960年代が舞台の『病葉流れて』にくらべると、『砂漠』は2000年代初頭、『ガッツン!』は2010年とかなり現在に近づきました。
『麻雀放浪記』以外の作品は大学生が主人公でしたが、大学での共通体験として麻雀を描けるのは、若年層の麻雀人口を見るに、よくて2000年代までに見えます。ただ、最近になってMリーグやVTuberの影響か若年層の麻雀人口は復活してきているので、また新たな麻雀小説も生まれてくるのかもしれません。
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