見出し画像

言えなかったこと。

タイトルに書いてある通り、
私の事について書いていく。
(長くなります)

 私は「うつ病」です。

事の始まりは、12月頃からだった。
学校へ行かなくなった息子たち。
何かと家事を手伝ってくれたりはするけど
家事をしたり、仕事行ったりの
完全に家と職場の往復のみの毎日。

「何が原因」とかはないけど、
なぜかずっと「何となく」疲れていた。
楽しんでたものも、11月頃にはやってなく、
12月はロス的なものもあったのかはわからない。
悲しくも何の感情もないのに涙が出たりしていた。
自分でもわからなかった為、
なんとなしに先輩に
「最近、ふとした時に涙が止まらなくなるんですよね」と
話をしたら、作業をしてる先輩の手が止まり、
心療内科をそっと勧められた。
私の中で行ったら何かわかるの?って感情と
何をするにもちょっとだけ「面倒」の感覚があった。

1月中旬、コロナになった。
幸いにも息子たちは軽症で済んで、
3日目の頃には熱も下がり、回復していた。
問題は私で、39度の熱が3日間続き、
横になっても息苦しさが続く。
酸素飽和度も94と93を行ったり来たりしていた。
それ以上下がると救急搬送の予定だったが、
何とか4日目には熱も下がり、
酸素飽和度も何とか96にまで上がっていた。

規定の10日間の休みを
体の不調が治まらないまま職場復帰。
メールで上司にコロナの症状を伝えてはいたが、
12月に心療内科が勧められた先輩に
「良かったね、少しは休めたんじゃない?」と
そう言われて、ふいに心になにか引っかかったのを
今でも強く覚えてて、その後
「貴方が休んでる時にね、上司に心療内科を受診した方がいいんじゃないかって話をしたの。もしかしたら上司から話があるかもしれないから。」って伝えられた。
上司からは「まずは僕と面談して、必要だと思ったら受診に繋げて欲しい」とそう言われた。

「自分の体の事なのに病院行くのも上司の判断なんだ、」と
少しモヤッとしたのと、そんなもんなのかと
自分のことなのにどうでもいいと思ったのを覚えてる。

コロナの後遺症なのか動くと息苦しい。
息の仕方を忘れてしまったのかと思うくらいだった。
そして何となく「ダルい」。
とてつもなくダルいのだ。
出来れば横になりたいという気持ちが強かった。

もうコロナの後遺症でダルいのか、
その前からあった「何となく疲れている」が原因なのか
自分でもわからなくなっていった。

2月に入るも、相変わらずの状態で
気持ちは「何となく疲れている」から
「出来れば何もしたくない」に変わっていた。
気づけば、仕事だけじゃなく、家のことさえも
自分のことさえも「なんかやりたくない」となっていた。

12月から定期的にあった、
「朝起きると凄まじい吐き気におそわれる」
それが、その頃には毎日のように吐いていた。
元々朝ごはんは食べないので、
胃液だけ吐かれる毎日。
それが更にストレスになっていった。

元々HSPでもある私は
その頃にはもう「人の声、視線、表情」
それが全部敏感になってしまい、
ちょっとした事でも
「今のは私の話なのかな、、」とか
考えが止まらなくなってしまい、
もう2月に入った頃には
感情を「無」にすることを徹底していた。

2月中旬。
何回か欠勤をしてしまっていた私は
ついに朝、ベッドから起き上がれない状態になっていた。
震える手で職場に電話をし、
そのまま心療内科を調べた。
上司の面談なんて待っていては、壊れる。
心の奥底の自分が、助けを求めていたのに、
見て見ぬふりをした自分。

やっとの思いで
すぐに見てもらえる心療内科を予約できた。
駅からすぐの場所だが、
私にはそこが凄く遠くに感じられた。
たくさんの人。
知らない人と目が合うのが怖かった。

邪魔にならないように。
人と目が会わないように。
ゆっくりと進み、
気づけば予約時間を5分程過ぎていた。
予約の2時間前に出たのに、
30分で行けるとこを2時間かかっていた。

受付で「次遅れる時は連絡してください」と
淡々とした言葉でさえ
何故かわたしは怖かった。

順番が来るまでイヤホンをする。
音は流さない。呼ばれてもわからなくなるから。
でもイヤホンをする事で
周りの音は少しこもってて
ハッキリとした音じゃなく安心できた。

順番が来て「どうされましたか」と聞かれた
わからなかった。
何を言えばいいのか。
何を話せばいいのか。
「わかりません」そう答えた。
医師は質問を変え
「今日はここまでどうやって来ましたか?」と聞いた。
「バスに乗って、電車に乗って」と答え
「そうですか、結構時間かかりましたか?」と。
聞かれたことに答えていく。

気づいたら泣きながら話をしている自分がいた。

「うつ病です」

1ヶ月以上の休職判断をされた。

もう少し早かったら
ならなかったんだろうか。
面談をしなかった上司のせいではない。
不調を訴えなかった自分、
人前に出ると、「相手はどうだろうか」とか
「こうすれば場が和むかな」とか
人の望む私を取り繕っていた私、
わざとではない。
無意識にそうしてしまうのだ。

結果、誰にも知られることなく、
私は壊れた。







すみません、、、
ちょっとしんどくなってきたので
続きはまた今度。


私の「記事」というには拙い文をサポートしてくださるなら、ぜひよろしくお願い致します。 「私」というものから、何がうまれるのか、試行錯誤しながらも記事にしています。 あなたが素敵な文字で包まれますように。