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【文学作品】Art of Life I:生きるための遺書 第一部 後編

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【百年ニュース】1921(大正10)9月3日(土) 欧州歴訪を終えた皇太子裕仁親王が横浜に上陸。原敬首相以下大臣高官が出迎え。横浜駅から御召列車で東京駅に到着すると,無蓋儀装馬車で高輪東宮御所に帰還した。沿道の至るところ立錐の余地のないほどの群衆が詰めかけ万歳の声が途切れることがなかった。

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【百年ニュース】1921(大正10)3月3日(木) 皇太子裕仁親王が6か月の欧州視察に出発。朝8時半海軍少佐の通常礼服で高輪東宮御所出門。東京駅から御召列車で横浜へ。午前11時半御召艦香取で無事出発した。東京駅前に数万の群衆が万歳で奉送。皇太子の国民的人気は極めて高かった。

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【百年ニュース】1920(大正9)3月26日(金) 皇太子(のちの昭和天皇)への進講のための東宮御学問所の御用掛として、西洋美術学者の瀧精一(東京帝国大学教授文学博士)が任命される。瀧精一は現在も発行中の日本最古の雑誌『国華』主幹。

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【百年ニュース】1920(大正9)4月15日(木)「午前7時50分、東宮御学問所において第七学年第一学期始業式挙行につき、御臨場になり、引き続きこの日の講義を受講される。本学期より新たに東宮御学問所御用掛清水澄による法制経済が加わり、数学・理学は各一時間減少する。(昭和天皇実録)」