先日、新たに処方していただいた呼吸器の薬。お陰様で、ずいぶん効きが良いです。おそらくこのままいけば、少なくとも以前の体調に戻れそう。お気遣いいただきました皆様に感謝します。しばらく慎重に生活するよう、心がけますね。
単位の件は置いておいて、放送大学の『人文地理学からみる世界』を学習中。身につきますように。
ユングは錬金術を単なる迷信ではなく、人格の完成を目指す思想だと考えた。「金」とは言わば、完成した人格の象徴のようなものだったらしい。大学の学部課程では詳しく習わなかったが、最近も『ユング心理学と錬金術』という本を見かけたので読んでみたい。積読を片付けてからになるが…。
オヤジギャグとか呼ぶから駄目なんです。「ミドルジョーク」と言っときましょう。
コロナ的なものからは一応回復しました! ご心配をおかけしました。皆様は引き続き、お気をつけ下さいね。
筆者は幼児期から奪われてきた「自我の主動性(主導性ではない)」を、思考によって補っているところがあったのだと思う。だから頭でっかちだったり、一時期ギスギスしていたのだ。それは必要といえば必要な過程ではあったが、自分のみならず周囲もしんどかっただろう。ごめんなさい。引き続き努力。
先日治ったと思っていたコロナ的な病気が、少々ぶり返している。週末は予定を返上して休むことに。しっかり養生しなければ。
境界人の聖地(?)に巡礼に行ってきました。また写真をアップしますね。
トラウマにより、トリックスター的な人格が育つという研究がユング派にあるようだ。未読だが、D.カルシェッド『トラウマの内なる世界』という本。
風邪の治りが悪いと思っていたら、医師にお伝えした既往歴(今までかかった病気)が不正確だったもよう。薬を変えていただきました。小学生の頃に患ったから、正確な名前がわからなかったんですね。いましばらく養生。
精神科医の名越康文先生が昔、「怒りの正体は悲しみ」だと書いていらしたと記憶している。愛着トラウマなどと呼ばれる悲しみや怒りも自分の内に閉じ込めておくのではなく、「トラウマ処理」として緩やかに解き放つべきなのだろう。複雑性PTSDの症状や対人関係の困難、現実適応の難しさの核だから。
トラウマ治療に「ナラティブ・エクスポージャー・セラピー」と呼ばれるものがあるようだ。岡田尊司『愛着障害と複雑性PTSD』(SB新書667)の記述を読む限り、note への投稿は筆者にとって、これと同じような効能をもたらしてくれているようである。皆様、ありがとうございます。
本日、自作の本をレンタルブースのある雑貨屋さんに少しだけ納品。お客様がいらして、筆者の作品について店のオーナーさんと話されていたところとのこと。noteも覗いてくださったそうで、本当にありがとうございます。今の風邪?が全快したら、この方が出品されている作品も拝見しようかと。感謝。
心理人類学の学費のこともあるが、外国の方に日本語を教える「登録日本語教員」の資格取得を検討中。今年から、国家資格になったばかりのもの。タイムリーだし、「境界」を生きる自分に向いている気がする。人類学のフィールドワークだって、兼ねられるかもしれない。
兵庫県西宮市、阪神甲子園駅が最寄りの雑貨店「slow MoTioN」にて拙作「名画テキトー美術館①」のイラストカードを販売中。さっそくお買い求めくださった方がいらして、感激している。作品自体は検索すればご覧いただけますが、近くへお越しの際はぜひ。一部100円で、お題は哲学??
「棚からぼたもち」を享受するには、棚の下まで行かねばならない、とよく言われる。これって、セレンディピティ(幸運に出会う能力)そのものだなあ。
人間ならPTSDになるような状況を、動物は動作で解除できるらしい。身体をブルブル震わせるのだ。テレビゲームの『ミッキーのマジカルアドベンチャー』では、主人公ミッキーが敵に触れてダメージを受けると、次に身体を震わせ体勢を立て直している描写がある。動物に普遍的な動きを再現したものだ。
狩猟採集社会で冷蔵庫など無い時代、果たして朝食を食べていただろうかと、武術研究家の甲野善紀先生が書いていらしたと思う。同様に、いつ獲物が獲れるか分からないわけだから「規則正しい食事」も無かったのでは。獲れた時に食べるのが自然で、規則正しい食事は農耕が広まって以降かもしれない。
以前YouTube動画を観ていて驚いたことが。「懐かしのアニメ」で明らかに覚えている映像があったのだが、計算すると三歳のとき放映されたものだったのだ。再放送するようなものでもない。特殊な条件下で、そうした記憶が残るという研究がある。たまたま当てはまったのかもしれない。
今日はスマホを十分に充電しないまま、外出した。モバイルバッテリーを持っていたから、大丈夫だろうと高を括っていたのだ。だが、モバイルバッテリーを充電し忘れていた。2つとも、ただの重いカタマリ(泣)。あと1パーセント…。
F先生が描いた「笑ウせえるすまん」と、A先生が描いた「エスパー魔美」を読んでみたいなあ。是非。
クリティカルシンキングというのが流行っている。平たく言えば「何事も鵜呑みにせず、自分のアタマで考える」こと。放送大学に「より良い思考の技法」という科目があって、この思考法を丸ごと教えているぐらいだ。一般的になれば大抵の事にツッコミを入れる筆者も、あまり変人扱いされなくなるかも。
パソコン画面上で求められる同意の書面は、誰も読んでいないらしい。物理的に無理な量だし、専門用語妙なカタカナ語も多い。第三者の法律家か何かが素人を助けるべきだと思うが、ユーザーと法律家とメーカーの3すくみを制度化などできないものだろうか。
無意識に、特定の相手にハラスメントを繰り返す人がいる。相手の反応を確かめる強迫行動であり、実は甘えているのだ。不安定な人に多いが、簡単に虐待に発展するため被害者は逃げるべき。子供が関心のある異性に「ちょっかい」を出すのと同じ心理である。幼少期から家庭でも学校でも、よくあった話。
ナルシシズムに「自己愛」という訳を当てる違和感については、かつて記した。「愛」自体が多義的な概念で、少なくともエロス、アガペー、フィリアの3種類ある。仏教での「愛」には、「執着」の意味も強い。これらをうまく考え合わせた訳語があるか疑問だ。「ナルシシズム」のままで良いのでは?
バカリズムさんが出てくる夢を見たので書く。「バカリズム」(元はコンビ名)はおそらく升野英知氏が、「アフォリズム(格言・箴言)」を「アホリズム」と読み換えて、さらに「バカリズム」と変換したのだろう。さんざん言われていることと思うが、最近まで気づかなかった。反省。
日本人顔負けの日本語使いでもいらっしゃる、詩人のアーサー・ビナード先生のエッセイを読んだ。環境のために、身体は石けんで洗われるのだとか。自分は頭髪で試してみたが、髪が短いので何の問題もなく使える。「地球にやさしい」だろうが、ビンボーな私には何よりサイフに優しいなあ。
「ギフテッド」というのは本来、呼称なんだろうな。つまり、他者からそう呼ばれる立派な人ということ。でもギフテッドを自称できる人は、ナルシシズムに負けない「菩薩」みたいな人なのかも。「自称したいだけの人」というのは、意外と少ないんじゃないかな。
『星の王子さま』という話は直線的な時系列が崩壊しているように思えるが、これは安冨歩東大元教授の説と符号する気がする。モラルハラスメントによって複雑性PTSD的症状を発症すると、似たような状態になる例があるからだ。時間や空間の認知に、まとまりが無くなるのである。
先日図書館で、菌類の図鑑をパラパラ見ていた。それは良いが、その後「星のカービィ」と聞くたびに「カビの胞子」という言葉を連想する。案外、由来もそれだったりして? 任天堂に問い合わせてみようかな(笑)。
お陰様で放送大学の今期の人類学科目、「人新世時代の文化人類学」「フィールドワークと民族誌」ともに、まあまあ良い成績で単位取得できました。ありがとうございます。
残念ながら、努力しても成功するとは限らない。でも努力すれば、うまくいく確率が少しだけ上がる。ざっくりと、そう理解しておけば間違いないんじゃないかなあ。成功とか一切してないけど。
大学などで今も学んでいるが、知人に大卒でなく、かつそのことが信じがたい人が少なくとも数人はいる。そういう人は、自分で学べるタイプなのだろう。学歴が幅を利かす世の中だが、大学の講義で寝ているだけの人々も見て来た。「学力とは成績ではなく、学ぶ力」なのだと、内田樹先生も仰っている。
三島と太宰の仲が非常に悪かったのは、「同族嫌悪」が原因だと言われている。毒親が自分の子供を攻撃する例も、これに近いものがあるかもしれない。生物学的には不思議な行動なのかもしれないが、『シンデレラ』の継母がオリジナルでは実母だったように、割と昔から「あるある」だったのではないか。
『ドラゴンボール』はそもそも、飛び散った玉を集めるのが主な目的だった。これって元ネタは、『南総里見八犬伝』なのかなあ? 八犬伝の原作を、ちゃんと読んだことないけど。
いずれ詳しく書く。人間の「真面目モード」は事物に理屈を当てはめて枠を構築するが、行き過ぎると神経症になる。「ふざけモード」は当てはめた枠を外すので柔軟になるが、行き過ぎると精神病的になる。両モードを行き来して、バランスを上手く保てた場合に創造性が働くのではないか。難しいけど。
商売は、「差」があればあるほど回る。だから「下」を叩いたり、「上」を強調するのだろう。だが商売が盛んな国でも実験によって、違いを強調しない教育が有効とされつつあるのは面白い。筆者は商売を否定しないが、日本人が序列大好きなのは気になる。現状では、商売と序列とが悪く絡んでいるような。
筆者は相当な「おっちょこちょい」だが、バックグラウンドでものを考えているから処理が鈍るのではないか。その証拠にリラックスした時など、あれこれ思いついてはメモしている。ボーッとして見える人が、必ずしもボーッと生きていないこともありうる。子供がボーッとしているのも案外侮れないだろう。
「スターウォーズ」は4〜6しか観てないが、C-3POって筆者に似てるような。外見はともかくだけど、通訳ロボだし(筆者は翻訳を学んだ)多弁で自慢しいで疎まれ、周りに聴いてもらえない(笑)。運動音痴なのも同じ。昔からこのキャラだけお気に入りだったけど、自分に似てるからだったのかなあ⁇
映画「シュガーラッシュ」を久々に視聴。競争による「成功」に、疑問を投げかけている筋書きと受け止めた。女の子たちを競争させているのは、競争マニアの男性キャラだし。監督がエンディングに日本の女子アイドルを起用したのは、やっぱり皮肉なんじゃないかなあ。だとしたら、相当狙っていますよね。