『余白思考』山﨑晴太郎 昔の家の縁側がまさに余白思考を表すものだというのが良かった。他人と家族がお茶を飲んだり、世間話したり、将棋をうったり、スイカを食べたり、うたた寝したり。誰のスペースでもないし、与えられた役割もない。縁側ってすごい空間だったんだな〜