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余白とは心の余裕

今日のおすすめの一冊は、山﨑晴太郎氏の『余白思考』(日経BP)です。ブログも同名の「余白思考」として書きました。

本書の中に「余白とは心の余裕」という心に響く文章がありました。

自分自身の中にある大切な「コア(核)」の部分と外の世界の間にある自由なスペース。これが「余白」です。そこでは何をしてもいい。中の延長として扱ってもいいし、外から来た人やものをいったん受け入れることもできる、そんな場所。

 リアルなイメージで考えるなら、昔は多くの家にあった「縁側(えんがわ)」「土間」のようなもの。いわゆる内と外の概念が曖昧(あいまい)になる、中間領域と呼ばれる部分です。 

誰かの部屋でもないし、台所やお風呂のように決まった使用目的を持つ場所でもない。子どもが遊んでいることもあれば、猫が昼寝をしていることもある。近所のおじいちゃんが遊びにきて将棋を指していたり、家族でスイカを食べたり、座布団を敷いて昼寝をしたり。 内と外の概念も溶け、「何をしてもいい」 ユニバーサルスペース

こういう場所が上手につくられている家は風通しもよくて、自由度が高い。楽しいことが入り込む余地がたくさんあります。 これは、縁側がまさに住宅の「余白」として、そこにあるおかげです。

なぜ今、余白が大事なのか?「パーソナルスペース」という言葉があります。他者が自分に近づいて不快にならない限界範囲のことで、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車や混み合ったエレベーターなどではこれが侵(おか)されて、とてもイヤな気持ちになることがあります。

身体(物理)的にまったく余白がない状態というのは、耐え難いものです。それは、誰もが本能的な体感として知っています。だから、人は他者との間に身体的にも心理的にも、「不快ではない」適度なスペースをつくろうとします。

余白を上手につくれば、忙しくてやらなければいけないことがあっても、毎日を今より「ラクに」「楽しく」「前向きに」生きられるはずです。

《余白とは、物理的な距離であり、心の余裕。その両方が失われれば、人は争わずにはいられなくなる。》

◆余白は人間でいうなら、余裕や遊びだ。余裕や遊びのない人間はギスギスして楽しくない。そんな人からは、人間的な深みも、厚みも、重みも感じない。表面的でチャラチャラした人間は初めは楽しくても、長く付き合っているうちにそのメッキがはがれる。

人として、味のある人は、淡々としてこだわりのない「余白のある人」だ。心に余裕のある魅力的な人でありたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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