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「あぶ刑事」とは懐かしい。まさか新作を撮っていたとは。しかし二人とも老いた。私ならその「老い」をテーマの中心に据えるが、エンタメ的にそれはないか。ともあれ「横浜」がよい舞台装置になっていたし、今回もそのはず。でも看板の「起用」は誤用。人以外には使わない。あ、御用にかけたのか?

3週間前

CT125を見かけた。街乗りからツーリングまで、なんでもこなせそうだ。私の年齢からしても、このくらいの車格が相応だろう。おとなしく小型車に愉しさを見いだす時期なのだろうが、やはり大型車の、あの「ドカン」は捨てられない。すべてのしがらみから解き放たれるような、あの怒涛の加速は。

花壇というのはそれだけで作品であり、観る者への問いかけだと思っている。といって草花の種類を当てるのでも、手入れする人の心を読み解くのでもない。「この花たちに目を配る余裕がありますか?」であり「美しさを忘れていませんか?」であり、つまるところ「ご機嫌いかがですか?」なのである。

こんなゴミ箱がまだ残っていたとは。私が幼い頃、これが各家の前にあったのだ。ということは50年、いや60年近く前のものかもしれない。といって、今もゴミ箱として使われているのではないだろうが。ともあれ日本の高度経済成長を、「昭和」を眺めていた証人。薄くて軽い使い捨ての現代に何を思う?

イオンの「お客様感謝デー」に自転車で颯爽と向かう。全品5%OFFなのだ。なので生活必需品は、たいていこの日に買う。そしてさらに値引き品を漁る。すると10%引き品が15%引きに、30%引き品が35%引きに、半額品が半額以上の値引き品になるのだ。95%引きがあればなあといつも思う。

これは以前住んでいたアパートの呼び鈴。壊れていたのだ。なのでこのように表記したのだが、やはり誤解された。宅配屋さんなどは顔見知りでわかってくれたが、飛び込みの訪問販売や勧誘がまったくなくなった。でも、巡回の警察官からは好意的に見られた。自己申告をする正直者と思われたのだろうか?

1か月前

横須賀は明るい観光地を目指しているようだが、ちょっと違うと思う。「流れ者たちの最終地」「あだ花が咲き誇る終着駅」「歴史に翻弄された街」「日本の路地裏、世界の踊り場」「本気で殴りあった者たちの和解の場」など、もっと心に引っ掛かる売り方でもよいと思う。実際にそんな場所なのだから。

noteから「創作大賞2024」の募集のお知らせが届いた。創作を志しているみなさん、ぜひ応募してほしい。プロアマを問わないらしいし。え? なら私も出そうか? けれど協賛しているメディアの何社かですでに仕事をしているし、担当者も付いている。もし、これで入賞したらどうなるのだろう?

1か月前

三浦半島にはおいしいものが多い。三崎でとれる魚介類はもちろん、大根、スイカ、キャベツなどの農産物も美味い。その他に新しい味も生まれている。なのに私はこんな直売所に脇目もふらず、業務スーパーへと直行する。そして中国産を買うのだった。三浦半島で売ってるわけだし、と苦しい言い訳をして。

2週間前

これ、じつは私が幼虫から育てたアゲハである。無事に孵化し、一昨日放蝶した。私はなぜか虫と縁があり、よく育てているのだ。でもいつも迷うのは、外に放すか否か。室内飼育なら長生きさせられるが、それはエゴではと悩むのである。籠の中の数週間と大空での数日間。「命」をいつも考えさせられる。

1か月前

最近、室内に長い毛髪が落ちていて、見つけては首を傾げていた。誰も招いていないし、私はスキンヘッドなのだから。しかしよく見れば白髪も落ちている。そこでそうかと得心した。私の髭なのである。髭も抜け替わるのか、と妙に感心した。でも残念だ。見えない仙人がいるのかもと思っていたからだ。

3か月前

昨日の続き。創作にはゴールがない。これで完成だと思っても、数日後、いや数時間後には不満が出てくる。数年後のものならばもう、直したいところだらけ。けれど、これはよいことだと思っている。成長している証であろうから。逆に言えば、手直し箇所が見つからないなどという日が来ることが、怖い。

1か月前

創作落語をひとつ書きあげ、演者さんに渡した。それで一息ついているのだが、渡された方はこれからが仕事である。それもたいへんな。なにせ短編小説ひとつ分を覚え、身振り手振りを交えた話術で、お客さんを夢中にさせるべく練り上げなければならないのだから。ああ、噺家でなくてよかった。

1か月前

落語台本続き。演劇や映画の台本には「当て書き」というものがある。演じる俳優を想定し脚本を書くのだ。落語の台本もこれに近いと思う。私は演者と膝突き合わせ、個性を見極め執筆する。つまり噺家が言う「落語作家がいない」とは、「(自分の感性に合う)落語作家がいない」という意味なのであろう。

3週間前

創作は楽しい。だが、それで食えている人は一握りであろう。小説でいえば、専業作家の数は百人程度と感じている。プロデビューしても「本業は続けてくださいね」と担当から言われるほど、出版不況が続いているのだ。見切りをつけて廃業する作家さえいる。なのに小説家志望者が減らないという不思議。

1か月前

談志師匠は「落語は人間の業の肯定である」と言った。本当にそうだと思う。人間はどうしようもない生き物であり、「それが人間なんだよ」と寸劇で見せるのが落語なのだ。なので笑いの奥底に切なさや遣る瀬なさがある。つまり笑わせながら考えさせる。その点では私の書いてきたものは共通すると思う。

1か月前

この言葉にて愚痴と不平を呑み込む。「時代が悪いの、世の中がおかしいのと言ったところで仕方ない。現実は事実だ。現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因がある。現状を認識して把握したら処理すりゃいい。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿という」立川談志

1か月前

落語台本続き。私の肌感覚で言うと、落語台本の需要は確実にある。そのためであろう公募も多数ある。才能が渇望されているのだ。けれど「新進の落語作家」の噂は聞かない。現れても定着しないのだろう。問題はいくつか思い当たる。最たる要因は落語は台本だけで成り立つものではないということだろう。

4週間前

無情の隙間から端然と咲く佇まいに、ある一節が重なった。「一体どんな樹の花でも、所謂(いわゆる)真盛りという状態に達すると、あたりの空気の中へ一種神秘的な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽(こま)が完全な静止に澄むように」梶井基次郎「桜の樹の下には」より

新作落語を書いている。けれど甘く見ていた。これは小説とは別物なのだ。まず視座が違う。神視点だ。さらに基本が会話劇である。そして演者の所作を想定しなければならない。舞台の脚本は書いたことがないが、それに近いのではないだろうか。ともあれ、この歳で新しいドアノブに手をかけた気分である。

1か月前