夏の雨は好きだ。 散歩の帰り道に夕立に遭って、頭の先から足元まで全身ずぶ濡れになって帰るのも、帰り着いて足元に垂れた雫が玄関に小さな水たまりを作っていくのも好きだ。 でも冷たさが骨まで浸みてくるような冬の雨と、知らぬ間に肌の上に何も通さない薄い膜を貼るような梅雨の雨は本当に苦手。
変わり者と変人の間には少なく見積もっても2.8億光年ぐらいの距離があるのだけれど、みんなは残念ながら常識人なので、2.8億年経っても変わり者と変人との間にある永遠に縮まらない距離に気がつくことはない。 世の中にはそういう見えない尺度がある。のだと思う。
物語における心情は水と同じ。隘路では速く、開けたところでは緩やかに、多ければ強く、少なければ弱く、低いところを探し、海へと流れていく。 人口の水路を自然の川を眺めるようには見ていられないのは、予め決まった道筋をただ水が通っていくだけのつまらなさを無意識に感じ取るからに違いない。