鄧子恢

鄧子恢 四つの自由を提唱 1948/08

 1948年8月。当時、鄧子恢(トン・ツーホイ 1896-1972)は中原局の第三書記。第二書記の陳毅とともに中原局の実務にあたっていた。財政問題とともに幹部を大量に要請確保する必要があった。また中原局の司令部があった河南省宝丰には、開封の学校の教員や学生があつまっていた。そこで中原軍政大学とよばれる、軍人養成の大学が作られることになった。1948年8月下旬、その全校教員学生を対象に「党の総路線と

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鄧子恢 私人資本を援助せよ 1949/10/31

論華中城市建設新方針。這是鄧子恢在中共武漢市代表大會上的報告。鄧子恢文集,人民出版社,1996年,pp.237-258 (新民主主義段階の経済の在り方についての鄧子恢(トン・ツーホイ 1896-1972)の議論である。大変明快に私人資本の発展を認めることを打ち出している。)(写真は礫川公園)

p.237   華中都市(城市)の建設は重大問題であり、二中全会の基本路線と華中の実際の情況を結ば合わせ

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鄧子恢 人民公社問題意見書 1962/05/24

干預當前農村人民公社若干政策問題的意見(1962年5月24日)這是鄧子恢寫給中央和毛澤東的報告。鄧子恢文集 人民出版社1996年 pp.587-599の要旨。鄧子恢(1896-1972)が、農民の小自由を、堂々と説いているところは、この当時の政治環境(こうした小自由に批判的だった毛沢東(1893-1976)をけん制できる人が党中央にいない状態)を考えると勇気のある人だと感じる(写真は湯島聖堂の遠景

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北戴河会議から四清五反へ 1962/07-63

黃崢《風雨歷程 晚年的劉少奇》人民文學出版社2018p.149-152をまとめた。(写真は1962年10月1日天安門上の朱徳、劉少奇、毛沢東、周恩来) 

 1962年7月25日から8月24日。北戴河と呼ばれる避暑地で中共中央工作会議が開かれた(中共中央が繰り返し長期間の会議を開いているのはよくわからない。激しい言葉が飛びかう反面、党幹部が避暑地で優雅に過ごしているようにも見える。)。これに参加し

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毛沢東と劉少奇 対立の表面化 1962

                                                                                         福光 寛
 これについて表面化を1962年前半だとする説明を、以下を参照しながら述べることにする。
 席宣 金春明《“文化大革命”簡史 第3版》2006年
 魯彤 馮來剛 黃愛文《劉少奇在建國后的20年》遼寧人民出版社20

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反右派闘争と大躍進の発動 1957-58

魯彤 馮來剛 黃愛文《劉少奇在建國后的20年》遼寧人民出版社2011年
陽雨《“大躍進”運動紀實》東方出版社2014年
黃崢《風雨歷程:晚年劉少奇》人民文學出版社2018年    等

  1957年6月8日に人民日報は社説「這是爲什麽?」を発表。これが反右派闘争開始の合図になった(写真は吉祥寺経蔵扉木彫り絵 経蔵は文化元年1804年の再建とされる)。
 1957年9月20日から10月9日。北京で

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胡耀邦 青年団中央委書記 1952-62

 胡耀邦伝 第1巻 北京聯合出版公司2015年 227-320 (今回からこの本については2015年に3巻本として出版された北京聯合出版公司版を使う)
 陳利明 胡耀邦上巻 修訂版 人民日報出版社2015  190-282
 満妹 回憶父親胡耀邦上巻 天地図書2016 212-262
 (写真は心光寺の石仏。万治二年1659年の銘が読み取れる)

青年団中央書記所第一書記に就任 1952年8月
 

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鄧子恢 左傾と粛清事件 1930-31

 1961年に出版された回顧録の中の一文であり、1930-1931年に生じた福建省(閩西)の中国共産党内にで起きた社会民主党狩りという、反対派粛清(肅反)事件を取り上げている。この事件は江西で起きたAB団事件とともに、多くの冤罪を生んだ。殺された被害者は6000人以上とされている。そもそも社会民主党もAB団も存在自体が疑わしいとされる。リンチや威嚇により自供を迫り、自供すれば直ちに処刑した。鄧子恢

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杜潤生 (1913-2015)

wikipedea(2019年6月6日閲覧)
杜潤生(ドウ・ルンシェン 1913年7月18日ー2015年10月9日)元の名前は杜德,山西省太谷県陽邑村人、中国の経済学者。長い時間深く探求した(資深)農村問題専門家。「中国農村改革の父」の称号を得る栄誉に浴している。(写真は肥後細川庭園にて)

生平
 早年生涯
 杜潤生は没落した富農家庭に生まれた。杜潤生の祖父、そして父は商人であり(經商)、のちに

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2.8 劉少奇の悲劇 1951-1962

 写真は左が陳雲、右が劉少奇である。杜潤生の劉少奇についての記述は、参考になるが重要な1962年について簡略すぎて事実を見るに不十分である。そこで《劉少奇在建國后20年》から1962年1月の7000人大会から同年7月の北戴河会議までの経緯部分を以下の下半分に引用しておく。1962年という年は大躍進の失敗が明らかとなり毛沢東を権力から引きずりおろす言わば最後の機会だったが、結局そのようなことは誰も起

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