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自分から動かない人の特徴(過保護、母子癒着の慣れの果て)

5か月前

極めて受動的な人間にとっての『仲良くする』とは、自分を全肯定してくれて、考え方も好みも何もかも完全一致して、心理的に夫婦よりも密着した状態である。夫婦でも、ある程度距離感と個々の自立心が無ければ逆に上手くいかないだろう。ゆえに彼らの人間関係は上手くいかないか、カルト的なものになる

これは私自身の経験からも確かだと思うが、他人の作品にケチをつければつけるほど、「それでは自分はどうなんだ?」となって自分も自信を失う。そして肝心の自分の創作ができなくなってゆくのだ。これを防ぐ方法はただひとつ、求められない限りアドバイスや指摘はしない、である。

極めて受動的な人間の本質はtaker(テイカー)奪う者である。彼らは悪意なく自然体でテイカーなのである。彼らは、自分から具体的な見返りを期待せずに何かをすることができるほど能動的ではない。常に何かをしてもらわなければまともに生きていけない、そんな自己認識が彼らをテイカーにしている

極めて受動的な人間は、 1 自分の安全領域を固守する。 2 気になった人物とは心理的に密着する。 3 ゆえに過干渉となる。 この点から人間関係に問題を起こす。この問題は、極めて受動的な人間にとっての相手が、よりかけ離れたタイプ、極めて能動的な人間である場合により大きくなる。

極めて受動的な人間は、ほどほどに折り合うことができない。わずかでも譲歩したり相手の言い分やこちらの落ち度を認めれば、ますます要求が強まり押してくる。それは実は積極性でも強引さでもなく、ただただ彼らは、それしかできない、機械的な反応の中に閉じ込められている。そして、いつかは事故る。

極めて受動的な人間の言うことは基本的には、『こうしてはいけない』で形成されている。次に優勢なのが『こうしなければならない』である。窮屈で抑圧的だが悪意ではない。むしろ善意で忠告しているのだ。

極めて受動的な人間の根本的意識は、無力感と被害者意識、そして社会から見捨てられた気持ちである。彼らを読者にするには、それを念頭に置いて書く必要があるのだろう。

しかし私が思うに、極めて受動的な人間が救われる方法など鎌倉新仏教の時代にあらかた出そろったのである。今どき、念仏なんて唱えられるかよと思う向きは、自分の好きな漫画やアニメのヒーロー・ヒロインの名前などを、心の中で唱えていたら良いと思う。潜在意識がそのキャラの美質を取り入れてくれる

極めて受動的な人間は、認知がゆがんでいるのであるから、そのアドバイスや指摘も当然、現実の問題解決からズレている。極めて受動的な人間の言うことに従えば上手くいかないのは、しごく当たり前の帰結である。

自分の家族は極めて受動的な人間ばかりだった。逆らってよかった。むしろもっともっと逆らったほうがよかった。そのほうが、かえって相手のためでもあった。なぜなら、極めて受動的な人間の言うことに従えば従うほどに、極度の受動性をもっと増加させるからである。それほ相手のためにならないのだ!

極めて受動的な人間は、自分自身の主観にはまり込んでいながら、自分自身は見えていない。自分が嫌いだから、自分を見つめることから無意識に逃げている。そして他人ばかりが気になって、こうしては駄目だばかりを言うが、それは一見正論でも、実は人からパワーや能動性を奪っているのである。