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天正18年(1590)7月21日は宗義智(そうよしとし)が朝鮮使節黄允吉らと入京した日。服属使節と思い込んだ秀吉は100日以上も待たせ明侵略の先鋒を命じる。秀吉と朝鮮の間で板挟みの義智は一時しのぎで取り繕うが次第に出兵は不可避に。無理難題の仲介役はどう振る舞えばいいのでしょうか。

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3年前

天正18年(1590)11月7日は秀吉が聚楽第で朝鮮使節を引見し明侵略のための先駆けを要求した日。仲介役で板挟みの対馬の宗義智は朝鮮には秀吉の全国統一への祝賀の使節派遣と伝え、秀吉には日本に服属する使節と報告して取り繕ったといわれる。朝鮮使節の抗議は受け入れられず翌年1月帰国。

天正18年(1590)7月21日は対馬国の宗義智が朝鮮使節黄允吉らと入京した日。小田原攻めと奥州仕置のため秀吉は不在であった。服属使節と思い込んだ秀吉は結果として100日以上も待たせ明侵略の先鋒を命じた。秀吉と朝鮮の間で板挟みの義智は一時しのぎで取り繕うが次第に出兵は不可避に。