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東京都に戻ったこと。

ああ、どうして私はここにいるんだろう、と自問すること一週間。

急遽夫の実家だった沖縄から、怒涛のように物事が運び、東京で働くことになり本土に戻ってきた。色々な事情が重なり、それなりに自分の中で決着をつけて帰ってきたつもりだが、東京に住むのは実に6ヶ月ぶり、ノートのアップデートも久しぶり。

そもそも沖縄への移住を契機に書き始めたノートだったので、一時的とはいえ東京に帰ってしまって、なんだか自分へも、そして時折読んでくださる方々へも裏切ったような気がして、書けなかった。

那覇だって都会だ。毎日スタバにいってたわけだし、沖縄にいて買えないものなんて特になかったし、生活がそんなに劇的に変わるわけではないだろう、とおもっていたのだけれども。

こんなに、ホームシックになるなんて、思わなかったのだ。

東京にではなくて、6ヶ月いた、あの南国の街、那覇に。

沖縄は不便だった。

暑いし、何より暑いし、人はちんたら歩いてるし、社会的インフラは整ってないし…。そして何より、言いましたっけ?暑いんですよ…!

でも、でもだ。

あの、島全体が静まり返るような雨。うるさいくらい賑やかな沖縄のこどもたち(おっぱいおっぱい言って絡んできた近所の男の子、元気かな?)、そして厚かましいくらい濃くて青い、沖縄の空と、朱をたらしたみたいに、濃い紅が空に映える、ハイビスカス。義理のお母さんの、半分くらいなまってるけども、優しい口調と。みたことない野菜たちに、ニオイだけは芳醇な、果物たちと。

そういうもの全てに対して、こんなに愛おしく思うなんて、想像していなかったのだ。

自分の故郷は、私を十代の間育て上げてくれた、長野県のあの山々だと思っていたし、あの山々に打ち勝つ原始体験は、もう大人になって、得られないとおもっていたのだけれども。

でも、こうやって東京に戻ってきてみると、故郷が一つ増えたことに気が付く。こころの中の原風景は、冬の空にまっしろに堂々と立つ山並みと、そして今、見渡す限り真っ青な海と真っ黒な肌をした人々の笑顔が加わった。

わたしは今自分の人生をまっすぐ歩けてるだろうか?そうやって自問するときに、わたしはこれからいつもあの暑い島を思い浮かべる。

こころが弱っている時、迷っている時、わからない時、泣きたい時、そういうときにこころの中にいてくれるのが、故郷なのだと思う。

ここまで読んでくださった方がいたら、どうもありがとう。今は私は沖縄へのホームシックで弱ってるので、ノートを書きながら泣いてる始末です。w

あーん、沖縄。


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