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生きる辛さ

タイトルの通り『生きる辛さ』について
筆を走らせたいと思います。
というのも夜に寝て朝を迎える。
そして今日という日が明日も明後日も
5年後も10年後も続くものだと
錯覚している自分に恐怖を感じたからです。

2020年のコロナ禍真っ只中の夏に
僕は発達障害だという事が分かりました。
二次障害で双極性障害も併発し
睡眠障害にもなり不眠症に苦しみました。

躁状態と鬱状態が3日交代くらいで発症し
鬱状態と不眠症の相性がこれまた最悪。
この時期は黄昏時から
朝日が昇るまで部屋の電気を消して
永遠に死に方を模索していました。
上手く言語化するのが難しいのですが
当時はずっと姿形も正体も分からない漠然とした
恐怖感と絶望感と不安感が身体の左側から
僕に覆い被さる様に大きな津波みたいに
飲み込んで来たんです。

とにかく明日が来て欲しくなかったし
今日が始まるのが怖かった記憶があります。
この恐怖と絶望感から逃れるには
死ぬ以外に方法はないと本気で思っていました。

これは経験した人間にしか分からない事だと
思いますが、こういった時って
自分が死んだら周りの人たちが悲しむとか
他人の事になんて思考が働かないんです。
とにかくこの世から消えてしまう事が
1番最善な策だとしか考えられないんです。

そこから時間が経ち躁鬱の振り幅というか
躁状態の時の数値が限りなく鬱に近くなり
振り幅が小さくなってからは、
寝て起きて今日を迎えられたら
感謝して生活をするようになりました。

しかし慣れというものは恐ろしいですね。
気が付くと当時の事を忘れて
今日を迎える事が当たり前の感覚に
戻っていました。
最近その事に気が付き怖くなりました。

だから僕は最近改めて色々と考えて
僕は構成作家でお笑いというものだけを
創るのではなくクリエイターになりたいんだなと
再認識する事が出来た。

もっと言えば馬鹿にされるかもしれないけれど
自殺者を減らしたいし、いじめを減らしたいし
本気で金八先生になりたいんです。

だから構成作家はこう有るべきなど
僕に唱えてくる輩はクソ喰らえです。
人の成功法が恰も正解みたいに発する人間程
哀れな生き物はいないと思っています。
だって俺はお前じゃないしお前も俺じゃないし
あの人はお前じゃないし俺もあの人じゃないから。

自分自身の言動のどこからどこまでが
発達障害の影響なのか正直分かりません。
でも、そんなん皆んなある事やでと言われると
頗る腹が立ちます。
僕の経験上知識の無い人間がこの言葉をよく
口にしている気がする。

僕たち定型発達の人たちよりは
少なからず生きる辛さを抱えています。
死というものと隣り合わせで生きています。
だから人よりも繊細で敏感で
相手の考えている事が無意識に頭と心に
流れ込んで来ますし
また、それが当たっている事が多い。

一度死んでいる人生だから
もうそろそろ自分の生きたい様に
生きさせて欲しいです。

今、死にたい人たちに死ぬななんて
事は言えないです。
でも、世の中には極小数だけど
理解してくれる人はいるのかもしれない。

僕はあなたたちに特別な言葉を
渡す事は出来ないけれど
黙って寄り添う事は出来ます。
勇気がいるのは重々承知していますが
辛かったら僕には声掛けて欲しいです。
少なからず先の見えない暗闇であなたたちを
1人にはしません。
そして、僕が辛い時。
その時はあなたたちを頼らせて下さい。

生きる辛さを知っている人間は
きっと柔和な人間なんだと思います。

僕たちはミカンや機械じゃないんだから。
人間なんだから。

人として人と出会い
人として人に悩み
人として人に傷付き
人として人の別れて
それでも人しか愛せないのだから。

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