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友達が少ない私の自己弁護


私は話すのが嫌いだ。

その理由として、話すのが苦手であること、相手に伝わらないこと、そして独特な言い方をする自分が嫌いであることの3点が挙げられる。

まず、日本語で話す場合、言いたいことが思い浮かばない。また、日本人と話すときには相手の言い回しが長くて話の内容が頭に入らず、時々ニュアンスを理解できないことがある。その上、話を全部聞かずに自分で残りの部分を付け足す癖があり、会話がうまくできない人だと認識されてしまうこともよくあった。

次に、中国語の場合、言いたいことが出てこなくて、日本語でしか言えないニュアンスを伝えたいときに詰まってしまう。さらに、中国の方言混じりの早口だと理解できなかったり、続けて聞くと耳が疲れることがある(ずっと耳の慣れない英語を聞いている時と同じ)。

つまり、私はどの言語でも話すのが苦手だ。解決策として、まぁ将来日本で生活するので、日本語をしっかり勉強して「母国語」レベルを上げたいと考えている。

中国と日本のハーフである自分を分析してみた。

中国語も日本語も不完全なまま大人になってしまった私:
- 食事は中国寄り→基本的に困ったことはないが、日本人を本場の中華料理店に連れて行くと問題ない。
- 文化圏は日本寄り→正直、中国人と一緒にいるとつまらないので、中国人の友達がいない。
-考え方→両方の価値観が混ざっているため、正直、両方の国の人と仲良くなりづらい。
- 相手の知らないことを説明するのが面倒(自分の当たり前を説明したくない)。これが1番の問題点。
- 正直、流行っていることが嫌いなので、話の輪に入れない。

結論として、結局、自分と同じくハーフか、古くから自分のことを知っている人と一緒にいるのが一番居心地がいい。

ネット文化については半々に知っているが、日本人には中国人の当たり前を説明したくないし、中国人には日本の慣習を教えたくない(教える行為が嫌いというわけではなく、ただ非常に面倒だから)。そのため、基本的に中国人と一緒にいる時は中国人のフリ、日本人の場合も同様。しかし、話すとどちらの国の人にも「同類」ではないことがバレてしまう(恥ずかしいことではないのに恥ずかしいと感じる場合が多々ある)。正確には「恥ずかしい」という単語で片付けられる感情ではないと思うが、何かから逃げたい、普通になりたい、アニメで1秒しか映らないモブキャラとして生きたいというのが私の理想かもしれない。

しかし、私は「普通だとつまらない、他の人と同じようになりたくない」と口癖にするくらい、滑稽で矛盾した性格をしている。国の慣習は説明したくないし、家庭のことは言いたくないし、日本語が上手い・中国語が上手いなんて褒められたくない(努力していないことに関しては褒められたくない)。

国際的な人間にとってチャームポイントになりそうなことを全て避けたい私。なんて面倒くさい性格なんだろう。

結局、上記の理由から一人でいるのが好きになってしまった。

じゃあ、日本人の文化圏で友達を作れば?と思うが、性格上無理だ。小さい時からの友達の作り方は、学校という存在があった。つまり、ほぼ毎日何かで接点を持つことが私の「友達」という定義の土台だった。頻繁に会わない人は私の「友達」になる入場券すら持てない。

だから私は友達ができない人になった。

こうして、友達ができないことに、自ら言い訳を重ねてみた。


#友達が少ない
#アイデンティティ
#外国文化

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