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アウトサイダー・アート① ~ヘンリー・ダーガーにとっての「創作」~

世の中にあふれる「作品」たち

 昨今のSNSや投稿サイトには、多くの「作品」がひしめいている。それ自体は素晴らしいことだと思うし、発信の場がより身近になったことで、新たな作品や作者と出会うことが増えた。SNSでヒットした作品が、書籍化されたりと一部ではネットでの提示が、表現の場の中心にもなりつつある。

 このような現状を見たとき、「アウトサイダー・アート」と呼ばれる作品たちの世間での立ち位置、そしてヘンリー・ダーガーが著作した物語作品『非現実の王国で』に起こった、その創作作品を取り巻く世間の動きと、重なるものを感じた。

世紀のアウトサイダー・アート

 ヘンリー・ダーガーが『非現実の王国で』の創作に着手したのは彼が18歳の頃だったという。そこから彼がカトリックの救貧院に移るまでの61年もの間、シカゴにあるアパートの一室でこの物語は休むことなく紡ぎ出され続けた。
 退去した独居老人の残した荷物とゴミを捨てるために一室に入ったアパートの家主であり、写真家、アーティストでもあったネイサン・ラーナーによって『非現実の王国で』という作品は発見されることになる。

 ゴミの山かと思われていた世界最長の創作物語は、挿絵として描かれた水彩画や写真などを使ったモンタージュイラストなどで約300枚、テキストは約14500頁という、その創作期間を物語る量にのぼった。
 この発見によってヘンリー・ダーガーは「アウトサイダー・アート」という言葉を世に広め、一大長編作家としてその名を轟かせることとなる。

 作者であるヘンリー・ダーガーはアパートから救貧院に移った半年後、自身の81歳の誕生日の翌日である1973年4月13日に息を引き取り、作品の発見者であるネイサン・ラーナーは1997年にこの世を去るが、『非現実の王国で』が創作されたアパートの一室と作品資料は、2000年4月13日に解体、移転されるまでその現場を保存されていた。作品は今なお作者ヘンリー・ダーガーを「アウトサイダー・アートの王」として示し続け、美術館への収蔵が進んでいる。2001年にはニューヨーク、マンハッタンにあるアメリカン・フォークアート美術館に、著作と挿絵26点の収蔵に伴い「ヘンリー・ダーガー・スタディー・センター」が開設され、研究が本格化した。

作者ヘンリー・ダーガーの生涯

 ヘンリー・ダーガー、名を正式には、ヘンリー・ジョセフ・ダーガー・ジュニアという。1892年4月12日にアメリカ合衆国イリノイ州シカゴに生まれた。
 彼には妹がいたが、母親がその出産の際にかかった感染症がもとで亡くなり、父親も体を壊して満足に働けなくなったことにより、その妹は里子に出されることになった。当時3歳であったヘンリーと生まれたばかりの妹は、顔も名前も記憶にとどめる間もなく生き別れとなり、生涯再会することはなかった。

 父親により幼い頃から読み書きを教わったヘンリーは、学校に通い出す前から無類の読書好きとなり、特に南北戦争の物語に熱中したという。入学後は、たちまち1年から3年へ飛び級してしまい、教師と南北戦争の史実について口論してしまうほど、その見識は深いものになっていた。
 8歳の頃に、父親が体調の悪化によって救貧院に移ることになり、ヘンリーはカトリックの少年施設で生活することになる。強情で癇癪持ちだった彼は、そこで規則を重んじるシスターたちから目を付けられ、厳しく指導されていたという。

 学校でもクラスメイトと馴染めず、口を鳴らす芸を編み出し、コミュニケーションを図ろうとしたが、それが逆に教師も含めた周りを苛立たせ、日ごろ見せていたその性格も相まって、感情障がい、知的な障がいの疑いありとして、少年施設から精神薄弱児施設へ送られてしまう。
 しかし彼がこれまで読書に励み、飛び級までしていることでも明らかなように、彼自身にそのような知的遅延のような兆候は認められず、このことは周りの陰謀であることは明白であった。精神薄弱児施設に送られて、すぐに脱走したがあえなく見つかり、ここでもまた周りの大人たちから目を付けられてしまうことになる。

 ヘンリーが12,3歳の頃に、父親が救貧院で亡くなったという知らせが入る。精神薄弱児施設での生活は規則正しく、成長して大人しくなったヘンリーの性に合っていたものの、労働や体罰、さらには唯一の肉親であった父親の死に目に立ち会えなかったことで嫌気がさし、再び脱走を試みる。260キロはなれた故郷シカゴまで、困難の末に徒歩により帰り着き、そして教会の助けを借りて、18歳で病院の清掃員の職に就いた。
 職に就いたものの、ヘンリーの生活は孤独なものであった。周りの人々からは変わり者として扱われ、ヘンリー・ダーガーの名前も、実は本当にその名前が正しいものかはっきりしていない。彼の周りの人々は、ほとんど彼の名前を正確に覚えていなかったのだ。孤独に耐えかねて、養子をもらいたいと願い出たこともあったが、清掃員の給料では子供を養うことができない、結婚歴がない、という理由から断られた。

 彼は生涯独身であったが、71歳まで清掃員としての仕事は場所を転々としながら続けられた。そして、終業後にゴミから拾ってきた紙や写真を使って、先ほど述べたように、61年もの間、自身の住まいであるアパートの一室で、誰にも知られることなく創作を続け、病気によって救貧院で息を引き取った。そしてその救貧院は、偶然にも彼の父親が亡くなった場所でもあった。

大長編ファンタジー『非現実の王国で』

 ヘンリー・ダーガーが創作した『非現実の王国で』という作品にも正式名称があり、それは『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』という長大なものであった。
 将軍ジョン・マンレー率いる大人たちの軍事国家グランデリニア、そこには多くの子供奴隷が、捕らわれの身となっていた。そこで子供奴隷を解放するために立ち上がったのが、カトリック教徒の国アビエニアであった。このアビエニアを主導するのが、ロバート・ヴィヴィアンの七人の娘、ヴィヴィアン姉妹であり、物語はヴィヴィアン姉妹とグランデリニアとの戦いを描いた、ファンタジー戦記であった。
 主人公ヴィヴィアン姉妹は、何度も敵に捕まるが、天才的な能力を発揮してその窮地を脱し、怪物や半獣半人たちの力も借りて、最終的にはグランデリニアを打ち負かすという結末を迎えるが、物語の補完部分で敗戦を思わせるものもあり、本当の結末ははっきりしていない。

彼のための物語

 この作品の根幹には、作者ヘンリー・ダーガーの様々な体験が色濃く表れている。彼は25歳の時に徴兵されるが、健康上の理由で除隊された。ヘンリーの自尊心はこのことで深く傷付き、参加が叶わなかった現実での戦争の代替えとして、物語の中で作者本人をカトリックのために戦う軍人として登場させるに至った。
 さらに奴隷解放戦争という物語の大筋は、幼い頃に熱中した南北戦争をもとにしており、周りの大人たちから受けた迫害とも思える厳しい批判は、軍事国家グランデリニアに投影された。それと対するように、子供奴隷に救われるべきものという役割と、大人たちから受け入れられなかった自身の子供時代を背負わせ、そんな自分自身を苦しみから救い出してくれる存在である、主人公ヴィヴィアン姉妹に、幼い頃に亡くなった母、顔も知らない妹、そして聖母マリアを重ねた。

 カトリックの少年施設で培われたその信仰心は、ヘンリーの中で深く浸透しており、職に就いてからも頻繁に近所の教会に通うほどであった。しかしこの知らぬ間に宿っていた神の救いを望む根深い信仰心には、260キロの逃走の末にたどり着いた、孤独と批判にまみれた自身の現状に対しての絶望と怒りが混在していた。信仰心が深まれば深まるほど、苦しく悲しい現実が浮き彫りになり、信仰に裏切られたという考えが強くなる一方で、それを制す信仰心も捨てることができないという、とても言葉にならない矛盾をはらんだ思いは、作品にぶつけられた。

 主人公側のアビエニアがカトリック教徒の国であるのは、その信仰心と聖母マリアから連想された母と妹への思いが背景にあると考えられるが、物語の結末がはっきりしていないという点を見ると、作者ヘンリー・ダーガーの強烈な自身の存在に対する葛藤が隠されているように思える。

 しかしながら、この『非現実の王国で』という作品の創作、すなわち“彼の、彼による、彼のための物語”は61年もの間、その孤独と愛と葛藤の生活を支え続けたのだ。


 ここまで、明確に「創作」という行為が「作品」を意味付けて体現させているものは、他に類をみないと言っても良いだろう。

 我々がディスプレイ越しに見ている「作品」たちにも、こちらでは気が付かない「創作」に対しての裏打ちがあるのかもしれない。

 それを理解したとき、我々の中で「作者」と「作品」はより大きな存在として現れるだろう。


……アウトサイダー・アート②へ続く

参考文献
『アウトサイダー・アート入門』椹木野衣(幻冬舎新書)
『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』小出由紀子(平凡社)

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