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目前に突然「ルナ」が現れた!ってなったらどうする?

今日も、懲りずに徒然と、

RPGでも「とつぜん」なにかが「あらわれた」ってことが良くあると思う。例えばスライムとか。稀にラティアスとか。
そういう事象って人生でもよく起こっているだなと最近は感じていて、今日も昼間、この話をしていた。



今日も結論から書くけど、
月野うさぎちゃんは「ルナ」が現れた時、セーラームーンになって戦う。って使命を理不尽に突き付けられたのにも関わらず、地球と月の未来のためにセーラームーン(なんならエターナルスーパーセーラームーンにまでなる)になって戦ってて、しかも誰にも知られずに、劇的ボランティアで遂行してる。あんまり見てないけど、仮面ライダーとかもそんな感じなんかな、





人生ってRPGじゃない?を国語をもって因数分解する。

人間界をRPGで表現すると「スライム」は見えていても「ラティアス」は見えてない気がする。それも例えてみると「みずたまり」か「社会課題」みたいな感じ。みずたまりは見えてるし、よっぽどどんくさくない限り飛び越えられる。でもラティアスは見えないうえに、攻略法が確立されていなかったりする。そもそも、みずたまりを飛び越えることが「解決」なのかどうか。そっと置いておいて、さらに言えば、人間界にマスターボールみたいな裏技をおそらく存在しない。


前者も後者も見えるか見えないかが問題なのではなくて、それをどうとらえるのか。が問題で、それを見つけて「どうにかしよう」とするのか「見て見ぬふり」も選択できるのだからやっぱり人生っておもしろいな。って思う。
ここで、ラティアスを攻略しに行くのか、何番ロードとかでむしとりあみを持ってむしとりしょうねんになるのかも自分次第なんだろうな。と思う。これが、自分の人生の主人公になれるかどうかって最大のポイントだと思う。(最近こういう記事をよく目にしまくるから便乗した。(笑))







ヒーローに憧れたことのある過去の本質?

将来の夢を小さいころ聞かれた時「セーラームーン!!!」って言ってたのってココに本質があるんじゃないかと、思った。いや、ほんと深いよね。
途中、ピーターパン症候群にかかったり、いろいろぐちゃぐちゃになってし「大人」を自分なりにとらえていくのよね。





私は、この文章を呼んでいる方たちの期待通り、もちろん、目の前に「ルナ」が現れたら、「メークアップ!」って叫ぶけれど、同時に、
「まもちゃんって居ますよね?」って
ルナかクイン・ベリル様に聞こうとも考えている。(笑)




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それから、今は、
じゃあ「銀水晶」ってなんやろ。って次のステージを考えているよ。(笑)

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