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失いたくなかったものを、失ってしまったときは

私には苦しかった思い出があります。それは、本当は失いたくなかったものを失ってしまった経験です。

中学受験に失敗し親族からダメ人間の烙印を押されたこと、大好きだった祖母との死別、大学受験の辛い時期を共に過ごした彼女から突然別れを告げられたこと、新卒で入った会社でパワハラを受け「使えないやつだ」と言われ続け精神をやられたこと…。

それぞれの思い出が時々フラッシュバックして、胸がギュッと掴まれたように苦しくなります。過去の思い出たちが「俺たちのことを忘れるんじゃねえぞ」と自分の胸ぐらを掴んでいるようです。私はずっとこのような過去の思い出に囚われて生きてきてしまいました。


なぜ喪失の経験が苦しいのか

これらの思い出が苦しいのは、それまでの温かい思い出があったからでした。

親族からは期待されて育ってこれた。祖母からは小さいときにたくさんの愛を与えてくれた。彼女がいたから大学受験は乗り越えられたし、新卒の会社の内定が出たときには自分にもできることがあると希望を持つことができました。

期待・愛・信頼・希望。言葉にすると陳腐ですが、自分にとって極めて重要なものが過去にはあったのです。そんな自分にとって本当は失いたくなかったものたちを失ったからずっと苦しんでいました。

失ったものを取り返したいという希望が、喪失の苦しみを生む

それからずっと、どうしたら苦しみから解放されるのだろうかということを考えてきました。大切なものをまた取り返せば、この苦しみから逃れられるのでしょうか。しかし、今どんなにあがいたところで過去は変えられません。今から中学受験を受けることはできない。本当に失ってしまったものは、帰ってこないのです。

気づいたのは、大切なものを取り返したいという思いが、自分を苦しめているということでした。どうあがいても取り返せないものを取り返したいと願うから苦しくなってしまいます。空に浮かぶ星を手に入れられないことを嘆き、大泣きしている子どものようです。

大切なのは、戻らないものは戻らないと受け入れることです。でも、どうしたら戻らないものを戻らないと受け入れることができるのでしょうか。今までずっとそれができずに苦しんできたというのに…。

苦しみを乗り越えるためには、新たな物語が必要だ

フランツ・カフカに、人形と少女にまつわるこんな話があります。

ある日、カフカが恋人のドーラといっしょに公園を散歩していると、ひとりの少女が人形をなくして泣いていました。カフカは少女に声をかけます。「お人形はね、ちょっと旅行に出ただけなんだよ」
次の日からカフカは、人形が旅先から送ってくる手紙を書いて、毎日、少女に渡しました。
当時のカフカはもう病状が重くなってきていて、残された時間は一年もありませんでした。
しかし、ドーラによると、小説を書くのと同じ真剣さで、カフカは手紙を書いていたそうです。
人形は旅先でさまざまな冒険をします。手紙は三週間続きました。どういう結末にするか、カフカはかなり悩んだようです。人形は成長し、いろんな人たちと出会い、ついに遠い国で幸せな結婚をします。
少女はもう人形と会えないことを受け入れました。

頭木弘樹『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ 文豪の名言対決』草思社文庫

なぜ少女は大切にしていた人形の喪失を受け入れられたのでしょうか?それは人形の喪失に物語が与えられたからでしょう。人形が突然なくなったという現実に対して、カフカが「冒険」という物語を与えることで、少女は人形の喪失を受け入れることができました。

同じように、喪失の苦しみを受け入れるには、新たな物語が必要です。

喪失の体験とは、それまで生きてきた物語の喪失した体験とも捉えることができます。自分は、親族の期待に応え続ける物語・祖母とずっと楽しく暮らし続ける物語・ずっと彼女と楽しい大学生活を送る物語・新卒で入った会社で活躍する物語を失いました。

それまで生きてきた物語が突然なくなり、物語がなくなった世界で途方に暮れる。それが喪失という体験です。この体験を乗り越えるためには、新しい物語が必要になります。

新しい物語を紡ぐために、日々を大切に生き、時々振り返る時間を持つ

では、新しい物語はどうしたら描くことができるのでしょうか。おそらく、新たな物語を描くための素材は、それぞれの人が既に持っているのだと思います。今の環境や考え方、周りにいる人で新たな物語を紡ぎ出すことができます。

物語を紡ぐ時、過去の苦しかった思い出は素材になります。苦しい思い出が今の物語を形作る素材となるとき、ようやく苦しみを乗り越えたと言えるのではないでしょうか。

新しい物語は、無理して作り出す必要はありません。というか、無理に作り出してはいけないものです。無理に作り出そうとすると、既存の物語にすがろうとしてしまいます。

既存の物語とは、社会的常識といわれるものであったり、普通と言われるものであったりします。それらが間違っているわけではありませんが、ありものの答えに飛びついたところで、自分の物語は生まれません。

ありものの答えに自分が合わせようとして、疲弊してしまうということも起こり得ます。サイズの合わない服を着ようとして、無理に痩せようとしたり太ったりしようとするのと同じことです。そのままでは健康を害してしまうでしょう。新たな物語も紡げないので、過去の苦しみもずっと引きずることになります。

自分の新しい物語を紡ぐために、まずは落ち着いて自分の周りを見渡してみましょう。自分の今いる場所、考え方、苦しかった思い出を点検してみましょう。時々、立ち止まって自分を見つめてみるのも良いものです。

新しい物語が生まれなくても慌てる必要はありません。自分を見つめながら、日々を大切に生きていれば、自然と新しい物語が見えてくるはずです。

新しい物語というのは、氷山の一角のようなもので、海の上に見えてくるには相応の積み重ねが必要なのです。日々を大切に積み重ね、新しい物語という氷山の登場を辛抱強く待ち、いつでも見つけられるように時々自分を振り返る。その繰り返しが、苦しみを乗り越えるために必要なことです。

新たな物語を見つけ、苦しみを乗り越えるその日まで

自分も新しい物語が見つけられず、ありものの物語に惑わされ、過去に首を締められる毎日です。

それでもいつか、新しい物語の氷山の一角を見つけ、新たな物語を作っていけるまで、生きてみるつもりです。苦しい毎日を送る仲間たちへ、共に歩けたらこれ以上素晴らしいことはありません。あなたが苦しみを乗り越え、新たな物語を紡げることを願っています。

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