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子育てとはどう生きるかを考える事

ずいぶんとお久しぶりに書きます

ある時期まで教育本を読み漁っていたんです。
賛同できる内容もあればできない本もあります。

結果「子育てに正解はない」に尽きると言う事なんでしょうが
いえいえ子育てに正解はあります。

私なりの言葉でまとめてみます。


子育てに正解はある

これは逆に言うと子育てにおいて、子育てに間違いはある。
間違いさえ犯さず子供を必死に育てていればそれが正解なのだ。
という事。

私は勉強もできませんし、体力もありません。
子供に注意できるほど立派な人間ではないですし、何もありません。

むしろ体を壊してしまい子供らに逆に助けられています。
確かに子育てをして13年、イライラしたり叱り過ぎたり不適切な対応をしてきた場面は多々あります。

その都度、「私だって人間だから感情があり出来ない事だってある」と子供達には言いません。

それは子供から見た母の言い訳に聞こえかねないからです。
イライラする母もいればしない母もいる。

私は自分の思い描く理想の母としての姿は感情に物を言わせる姿ではないからです。
常に冷静に悪い場面では謝り、謝ったなら2度と同じ失敗を起こさない、そこを貫いてきました。

子供自身に何か注意して、「大事なのは次から同じ失敗を繰り返さないよう努める事」
そう子供に教えるなら母親である私たちも2度と感情に任せて物を言わせてはなりません。

いきなりは出来なくても少しずつ母親としての成長として、徐々にできるようになります。
グッと歯を食いしばり感情を堪えて耐える。
苦しいでしょうが頑張って下さい。
母親として、これは間違った対応だなんて悔やまなければそれが正解です。

どうか胸を張って

なぜ勉強するか聞かれたら返答できるか

どの本でも共通しているのは勉強や努力の大切さや他人に対する思いやりを書いています。
当たり前ですが勉強するのは贅沢の為ではないですよね。
それと同じで、子供になぜ勉強するの?と、聞かれてあなたは何と答えていますか?

食べていくためだとか、お金を稼ぐためと諭していませんか?

だとしたら農家になればいい話ですし、お金を稼ぐなら投資の勉強をすべきです。
教育者である我々大人がなぜ学ぶのか正直わかってない人が多いんじゃないかと思われます。

うちはうち、よそはよそ、だからゲームは買わない、スマホは買わない。だと納得いきません。

我が子が我が子なら勉強しない、受験しないという我が子の主張にどう向き合うんですか。

あなたはなぜ勉強するんですか?
きちんと子供に納得できる説明ができるでしょうか。子供と向き合う前に自分と向き合ってみてください。

佐藤ママには賛同できる私

いろんなところで批判もある佐藤ママですが私は結構、賛同できる点が多いです。

全てが本やセミナーの話通りだとは思いませんが子育てあるあるや、しっかりと筋が通った信念と愛情、子供達から慕われているという事は母親としてこれ以上の評価はないですよね。

もちろん、努力家の佐藤ママも全て完璧にこなせていた訳ではないでしょう。
その都度壁にぶつかったり悩んだりした事もあったはずです。

完璧ではない、だけどやってきた事に後悔はない、そうキッパリ言い切れるという事は常にギリギリまで頑張ってきたからこそ言える事でしょう。

私も道半ばではありますが、後悔なく子供と向き合い独り立ちした子供達にも慕われる母になれるよう頑張りたいと思える尊敬できる方です。

我々大人の価値観は古いんだ、という念頭を常に持つ

いくら親であっても価値観の押し付けはいけません。
揺るぎない大切な事をひとつの見方として提示するならまだしも、絶対に〇〇なるよ、という価値観の押し付けを行っていい事はひとつもありません。

親としての価値観があるなら、その価値観に行き着いた年齢に至るまで話さない方がいいと思います。
子供には子供が理解できる境地があるのであまりに幼いうちから小難しい価値観を長々と喋るのは、あなたの周りにもいるしつこくうるさい上司と同じです。
しかも、その価値観は子供が大きくなる頃には変わっている可能性も大いにあります。

例を出すなら辻ちゃんがそうじゃないかな。
初めは叩かれていた彼女がなぜ今愛されるのか。
それは辻ちゃんを見る主婦の年齢層が変わってきたからじゃないかと思います。

現代の価値観についてゆけず未だにLGBTに理解のない人、ポテトサラダくらい作れという人、だいたい私達親世代よりもう少し大人です。

そういう意味で辻ちゃんが愛されるのはきっと若い子達の新しい価値観が現代の価値観に変わってきてるからだと私は見ています。

何事にも基礎がある子育ての基礎は社会全体で

これは私が声を大にして言いたい事です。
子育ての基礎や応用は各家庭によって違う、多様性を認めなくちゃ‼️

という意見には大反対です。
子供を育てる上での基礎

食う
寝る
着る
学ぶ権利知る権利

ここはどの家庭も基礎として平等に与えなくてはいけないですし習い事したり塾に通ったりは金のある家庭の子供しかできません。

東京で子育てしていると義務教育以上の教育、つまり習い事や塾はもはや当たり前になっていて「子育ての基礎」に含まれている事に繋がっているんじゃないか、という疑念があります。

また、子供がいつ受験をするか何を学ぶかというのは選択権は常に子供が手にしていてほしいなと思っています。

選択ミスをして失敗する事もあるでしょう。
しかし、親の私たちは子供の失敗する権利を奪ってはなりません。

あなたの人生が死刑並みの罪を犯さない限り何度もやり直しや学び直しが可能なのと同じで、失敗しても子供の可能性は潰れるわけではありません。何度だって修正可能です。

やりたい事がないなら、野に放ち世間を見ろ、と16歳から家を出る事を許してくれた父には感謝しています。

やりたい事がないなら勉強しとけ、は何故繋がるのか。
やりたい事がないなら職人になる道、技を磨く道、世の中には資格勉強だけではない自分の腕を磨く道というものがあります。

子供自身にはどんな道があるのか、勉強も体験も同時進行で、やりたい事が見つからないなら勉強しとけ、という檻の中に鍵はしないであげたいと努めています。


反抗する理由は親自身に思いたる節があるはず

子育てをしていると反抗期にぶつかったりますが、嫌いだから反抗しているとは言い切れないですよね。

すれ違いとか思い違い、もしくは反抗される理由を実はどこかで親自身に思い当たる節はありませんか?

思い返してみて、子供目線から自分の姿を見て、悪いと思うなら謝る、信念があれば凛として貫き通したらいいんです。

まだ子供なのですから。
伝わらない事もあります。
あなたなりの愛情を精一杯ぶつけてください

今日のまとめ

いろいろと書き連ねましたが、子育てって結局どう生きるべきか?
に繋がる気がします。

どう育ててもらいたかったか、いろいろ希望はあったかと思います。
失敗しても悩んでも、あなたはあなたの子育てを手探りで模索しながら失敗しながら親として成長していきます。

論理的になんていきません。
もがき苦しみ必死に子供と向き合う姿は人間らしい美しいところじゃないか⭐️
論破や正論押し付け人間は無視して生きましょう。
子育てに押しつぶされないで。
きっと乗り越えてゆける。

子供を信じるのと同じで自分も信じてあげてほしいです。




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