皆既月食で思い出したこと

皆既月食、みなさんは見られましたか。うちのあたりでは曇っていて見られませんでしたが、福島の両親は少し見られたとのことです。また下の妹は一歳児の育児に追われながらも、ゴミ出しに行くとき終わりかけの月食を辛うじて見られたとか。上の妹からは特に連絡がなかったので、新生児の育児に追われているのでしょう。
僕は思考が単純なので、なんとはなしにSpotifyでALI Projectの「月蝕グランギニョル」を流しながら過ごしていました。この曲が出たのはちょうど僕が中学2年のときで、深夜のいわゆるアニラジ(アニメ関係の声優さんなどが出ているラジオ)をめちゃくちゃに聴きまくっていた頃でした。たしか週に30番組ぐらい聴いていたように思います。

その頃は地元のラジオ福島ではアニラジをほとんどやっておらず、かといってまだradikoのエリアフリー機能なんていう便利なものはありません。そこでラジオのAMアンテナを必死に調整したり、ラジオそのものの位置をあれこれ変えてみたりしながら、何とか遠距離受信を試みるという、いわゆる「雑音リスナー」だったのです。ラジオを聴いていても雑音に絶えず悩まされるし、局によっては他局の音声が混線します。特にアニラジで有名だった文化放送は周波数帯が近い韓国のラジオ局と混線して、時には韓国語の放送の向こうに辛うじてお目当ての番組を聴くという環境でした。当時の田舎者はこういう涙ぐましい努力をして都会のラジオ局の番組を聴いていたのです。
幸か不幸か僕の実家のあたりは結構な田舎だったので、北は北海道のHBCから南は福岡のRKBまでかなり多くの放送局からの電波を受信できていました。大ファンだった「國府田マリ子のGM」などはHBC、ラジオ大阪、ラジオ日本、信越放送……だったか、とにかく複数の局にまたがって週に何度も聴いていました。

当時の文化放送には土曜夜23時台に1時間の枠で、アニメソングや声優ソングのカウントダウン番組があったのですが、その頃はちょうど田村ゆかり&堀江由衣の"やまとなでしこ"コンビがパーソナリティの「Something Dreams マルチメディアカウントダウン」(通称ドリカン)が終わって、「こむちゃっとカウントダウン」(通称こむちゃ)が始まってしばらく経った頃でした。僕はギリギリでドリカンも聴いていた世代だったので、それぞれの冠番組「堀江由衣の天使のたまご」「田村ゆかりのいたずら黒うさぎ」(後者では何度かおたよりが読まれたことがある)が始まる前から2人のファンだったりします。田村ゆかりさんは他にも新谷良子さんとの番組「ぴたぴたエンジェルA」も、たまたまラジオ福島でネットされていた時期があったこともあり、後継番組「GAだにょ」「エンジェルLOVE」も含めよく聴いていました。

ともあれ、相変わらず雑音と混線に悩まされながら聴いていた「こむちゃっとカウントダウン」で、ある夜、カウントダウンのランキングにはまだ入らない「今週の期待の一曲」みたいな枠で、鮮烈な印象を残す曲が流れたのです。それが僕の「月蝕グランギニョル」との出会いでした。
すぐさまMD(時代を感じますね)に録音したように記憶していますが、あるいは初登場の翌週、早速ランクインしたのを録音したような気もして、とにかくラジオで放送された音源を録音してしばらく聴いてしました。しかし当然ながらただでさえAMラジオからの録音だから音質はよくありませんし、そのうえ遠距離受信だから雑音混じり、混線もしている音源です。YouTube以前の時代なので音質のいい「月蝕グランギニョル」を聴くためにはCDを買うしかありません。

とはいえ僕の住んでいた町にはそのころCDショップがなく、CDを手に入れるには隣町の福島市まで出るしかありませんでした。しかし地元から福島市内まで出るには、車以外では、阿武隈急行という片道500円近くするローカル線に乗って行くしかなく、小遣いの乏しい中学生には一人で市内まで出るのは難しかったのです。そこで「月蝕グランギニョル」を手に入れるためには、福島市内まで親が連れて行ってくれるのを待つしか手段がありません。しかも当時まだまだ市民権を得ていなかったアニメソングのCDですから、福島の田舎まで入荷されているかもわかりません。
そのとき福島市の郊外にあるSASYUという大型書店のCDコーナーに行ったのか、あるいは福島駅の駅ビルに入っているアニメイト福島店まで連れて行ってもらったのか、記憶は定かではありませんが(その頃はまだアニメイト福島点はできておらず、郊外のSASYUだったような気がします)とにかく福島市内まで連れて行ってもらったときに、ようやく「月蝕グランギニョル」のCDを手に入れたのでした。

そのとき乏しい小遣いをはたいて手に入れた「月蝕グランギニョル」のCDはB面の「未来のイヴ」ともども、ずいぶん長いこと聴いていたように思います。当時の僕の小遣いが乏しかったことは、翌年、プロ野球の近鉄バファローズがオリックスブルーウェーブとの合併騒ぎになったとき、たまたま5千円の臨時収入があって錯乱し「これで近鉄を買収できる!」と言い放ったことからもうかがえます。
ともあれ「月蝕グランギニョル」や「未来のイヴ」の歌詞で初めて僕は、中井英夫の『虚無への供物』およびそのタイトルの元ネタであるヴァレリーの詩「失われた美酒」や、ヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』を知ったのでした。そう考えると雑音混じりのラジオから流れる「月蝕グランギニョル」に鮮烈な印象を受け、万難を排してCDを購入したことが、のちに仏文に進むことになる遠因となったのかも知れません。
その仏文とも最近はご無沙汰で、Zoomで開催される仏文学会の大会を知らせるメールが来ていたなと思っていたら、気付かないうちに大会が終わっていました。学問の世界からどんどん遠ざかるようで悲しくなります。

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思い出の曲

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