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まじめにふまじめ金欠でもゴロリ

お疲れ様です。
プロペラです。

この記事を書いているのは8月29日。
もう夏も終わりますね。
学生は鞄の中にタイムカプセルの如く眠っていた
夏休みの宿題に苦しめられていることでしょう。
かくいう僕も毎年そんな感じでした。

ただ1度だけ、夏休み終了1週間前に
宿題を終わらせることに成功した年がありました。
世の中大なり小なり番狂わせはあるもので。

何かしてもいいし、何もしなくてもいい。
全く自由な1週間は筆舌に尽くし難く、
いま思えばニートの原体験だったように思います。

さて今回は、8ヶ月社会から離れた生活を経て
自分の人間性に変化が生じていると
感じたことをお話します。

今年からニートとして活動を開始して
たまにはバイトもするけれど、
基本的には何もせずじっとしていることが多かったです。
このご時世や、元々友達少ないなどの要因も手伝って
人との関わりも希薄になりました。

そこで先日ふと思ったのですが、
人間関係への耐性が低くなってきている!と感じました。

そこそこの期間1人で好き勝手生活した結果、
人間関係を育む為に必要な思いやりであったり、
忍耐力が損なわれてしまいました。

相手の都合や気持ちで
こちらの行動が制限されるのが我慢できず、
逆に自分の気持ちや都合は
最大限汲み取ってほしいのです。

端的に言えば
「俺はいいけど、お前はダメ。」です。

しかし最大の問題は
ニート生活がそうさせたのではなく、
元々こういう奴なのです。

正直な話僕の本当の性格は自己中そのもので、
全ては自分の匙加減さじかげんで物事や立場を決定したい人間です。

(人々が離れていく足音はまるでさざなみのようで…)

激怒した足の速い人に
死んだほうがいいとか思われそうなわがままっぷり。
明日からディオニスと呼んでください。

が、そんなことを言っていては社会に溶け込めませんし、
モラルが著しく欠如していることを自覚しているので、
その気持ちを無意識に押し殺して、譲る時は譲り
相手の気持ちや状況をおもんぱかってお付き合いしていました。

一方いまは社会に属していないし、人付き合いもない。
好き放題できるが故に、我慢ができなくなってきているのです。
ネットの友人はたくさんいるけれど、
切ろうと思えばすぐ切れる手軽さがあり、現実とはちと違う。

元々社会不適合者なのに、唯一残されていた
良心回路までもが失われてしまいました。

戦線を離れたスポーツ選手が
2軍で調整して試合勘を取り戻すように、
少しずつでも集団生活の勘って奴を取り戻さないと
人間でいられなくなるなぁと思う今日この頃でした。

人間カンケイってスポーツだ。
ポカリスエット。 
(CM風)

とはいえ、自分の行動に対して
適切な裁量権を持つことは
人間の幸福度を上げるとされているそうです。
真の幸せはニートにあると見つけたり。

その辺のお話はコチラの記事と、本を参照のこと。

僕は今日も明日の幸せのために好き勝手にするのである。
一抹の不安もないわけではないけれど、
自由を失うよりはずっと良い。

これは罪のない人間を搾取する現代社会に対する
僕なりのRebellion反乱だ。

そう考えるとディオニスなのは
僕ではないのかもしれません。
そうか、
ディオニスは現代社会のメタファーだったんだ!

邪智暴虐じゃちぼうぎゃくの限りを尽くすディオニス(現代社会)に対して
自分なりの正義を掲げて真っ向から立ち向かう。
まさしく僕が、僕こそが、、主人公メロスなんだ!

メロスが野を越え山を越え、川の激流に揉まれ、
山賊が立ちはだかったように、
僕にもきっと様々な障害が立ちはだかることでしょう。
それらを越えた先に、真の自由、理想郷ユートピアが広がっているはず。
下を向くな。胸を張れ。どんなに辛い状況でも
メロスアイツは勇ましくそこに立ってたぞ。

はい。ということで
現実を直視できない人間は
スケールの大きいことを言って、
話を本題からズラすことを得意とします。
クズ人間を見分ける指針ししんになりますので、ぜひご活用ください。

恥を知れ、ダメロス。

以上、よろしくお願いします。


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