栽培するという贅沢を通じて、心が「親モード」になったことを実感した
スーパーで立派な野菜が安く買える時代、どうして家庭菜園が人気なんだろう。数年前まで、全く理解できていませんでした。
でも、自分で野菜などを栽培するということをやってみて、その本質を理解することができました。これは、親心です。
人間は長い時間をかけて「親モード」になる
私自身は、子どもの頃も社会人になって働きだした頃も、とにかく効率を重視していました。
基本的に、その瞬間瞬間において最もパフォーマンスのよい選択肢を選んでいました。それが、賢く生きることなのだと信じていました。
でも、今は当時と反対の価値観が、自分の中で育ってきています。
価値観が劇的に変化したことを自分でも不思議に思っていたのですが、最近ふと気づきました。自分の心が「親モード」になったのだと。
「親モード」は、周囲のものごとを守ってあげようとする心。
「子モード」は、周囲に守られながら、自分のしたいことを追求する心
私がいま勝手に作った言葉ではありますが、私は数年前までずっと「子モード」であり、いまようやく「親モード」になりつつあるのです。
なお、親モードになるかどうかと、実際に子どもを持つかどうかは全く関係ありません。
私は30代で2人の息子が産まれ、親になりました。もちろん息子に対して良い親であれるように力を尽くしてきました。一方で、息子たちが小さい頃は育児と仕事に追われて心の余裕などなく、植物や自然などに関心を寄せる時間すらありませんでした。
いま、息子たちもある程度大きくなって育児がラクになったので、ようやく関心を持つ対象が広がり、親モードになれたのだと思います。
親モードというのは心の在り方です。家族だけでなく、自分の身近にある人、動物、植物、自然、様々な物事に対して優しく接して慈しみ、それらのために自分の力を役立てようと考える姿勢です。
家庭菜園やガーデニングというのは、親モードの分かりやすい事例でしょう。身の回りの環境を美しくし、植物はもちろんのこと鳥や昆虫にとっても過ごしやすい楽園を作る。そういう強いモチベーションを保っているのが、親モードの状態です。
料理を作ることやDIYに興味を持つことは、自分の好きなことを追求するという点では「子モード」とも言えます。
でも、例えば料理に興味を持つ状態を考えてみてください。
「化学調味料だけでなく、昆布と鰹節からダシを取りたい」
「ディルというハーブを食べたことがないけど、自分で料理して味わってみたい」
多くの場合、自然への探求心や、自然と交わり共存したいという思いが強くなっているということです。そういう意味では、料理を自分の手で作りたいという気持ちも「親モード」的な要素があると思います。
しいたけでさえ、可愛い
私は、道の駅や直売所が大好きです。
長野県の原村にある「たてしな自由農園」を訪れたときに、しいたけの原木を見つけました。しいたけの菌を打ち込み済みということなので、濡らしたうえで日陰に置いておけば育つとのことでした。
まあ、ネットで調べると、ちゃんと育てようとするといろいろお世話が必要のようですが。
まずは試しにということで、1000円程度で売っていたホダ木を1本だけ購入し、八ヶ岳の家のウッドデッキ下に置きました。
それが、去年の5月の話でした。
お店の人の話では、早ければ秋にしいたけが出ることもあるけど、基本的には翌年の春と秋に出る形かなあ、とのことでした。
6月、7月、8月、9月。
ホダ木には全く変化がありません。ただの枯れ枝と同じ。
全般的にキノコの栽培は、キノコが出てくるまでは目に見える変化が全くないので、うまく行っているのかどうかも分からないし、やりがいがありませんね。
それでも、ときどきシャワーで水をかけてあげながら、しいたけが育つのを待ちます。
10月末。ウッドデッキ下を見に行くと、驚きの変化がありました。
いきなり、大きなしいたけが何個も育っていたのです。
もう、感動ですよね。
息子たちにもこの発見を伝え、息子たちもびっくり。
キノコは重力を感知できるという話を聞きました。
いろいろな場所に菌を打ち込んでいるので、下向きに生え始めてしまったものもありますが、途中でグイグイと方向を変えて傘が必ず上にきます。
それに、サイズが大きく、超肉厚です。大きいものは、大人の手の大きさに近いくらいです。
早速収穫し、鍋にして食べてみました。
とても緻密で、歯ごたえもしっかりしていて、味も濃厚。パーフェクトでした。
いろいろな人に自慢したくなるほどの感動体験だったわけですが、冷静に考えるとスーパーでも数百円でしいたけを売っていますし、そちらの方がコストパフォーマンスは良いでしょう。
そう、「子モード」の考え方に立てばね。
でも、いまの私はまさに「親モード」。
見た目からは枯れ枝にしか見えなかったものから、本当に立派なしいたけが生えて来てくれたという喜び。来年に生えるものだと思っていたら、今年の秋に生えてきたという驚き。予想以上に大きくしっかりしていて美味といううれしさ。そういう感情が合わさって、深い感動を覚えたのです。
感動を覚えると、クセになる
八ヶ岳の家には月に2回ほどしか通えないので、水やりを必要とするような野菜を育てにくい状況です。
まあ、それでもジャガイモと大葉は植えてみたのですが。あまり、うまく育ちませんでした。庭に大きな木が生えていて日陰を作ってくれるので、夏を過ごすには快適なのですが、家庭菜園にはあまり向いていないのです。
それで、東京のマンションで何かできないかと考えてみました。
手始めに水耕栽培。ベビーリーフとパクチーを育てます。種も容器も、ほとんど100均で揃うというお手軽さ。液肥だけハイポネックスというものを数百円で買いました。
種を撒いた時期も異なりますが、最初に撒いたベビーリーフは50日くらいが経って、かなり成長してくれています。
味は、なんかカイワレ大根のようでちょっと辛いし、窓際で日照に当てているつもりだけど少し黄色みを帯びているし、いろいろ工夫する余地がありそうです。でも、第一弾としてはまずまずでしょう。
写真左側にあるのは、サラトリオというブーケのようになったレタスですね。スーパーで買ってきて葉っぱを全て食べたあと、根っこのところだけを水につけておけば葉が伸びてくれます。もう少し待ったら食べごろかな。
こうやって、野菜やキノコを栽培するというのは、ちょっとした贅沢だとも思います。そして、その贅沢を楽しいと思えるようになったということは、自分が「親モード」になっているということだと思います。
コスパとかタイパとか、そういう世知辛い言葉が氾濫しがちな令和の世の中ですが、こういう価値観もあるんだよということを知っていただければと思い、記事を書いてみました。
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