#24 気遣いこそ尊さよ。
気を遣える、気付いてあげれる、察することができる人はとても尊い人だと思う。とても偉そうに言うが、隣にいる人に少しだけの気遣いと心情を察そうとする気持ちがあるだけでもっと世の中は優しい世界になると思う。これは結構本気でいつも思ってる。
ただ、実際はそんなにうまくいかない。俺はそう思ってるだけかもしれないが気を遣ってやってることに気付かれずに結局無駄になってしまう事が多い。
特に視野の狭い奴に無碍にされてしまう。
自己主張が強いのは悪い事じゃないが、もう少し色んな人がいて色んな環境に置かれていると言うことを理解して欲しい。あなたの世界では、目的が勝つことかもしれないが、勝つことと同じくらい協力するって尊いことだと思う。結局、独りよがりで結果を出して何が残る?
トップアスリートがよく言う「仲良しごっこをやってるわけじゃねえーんだ。だから言いたいことは言う」
今の日本の風潮は、どうにこうにも話題のアスリート的思考に流されやすいと感じる。(それが悪いことではなく、あくまで強者の理論が強いということ)
目的が「勝つ集団になること」ならそれはそれでいい。でも忘れちゃいけないのは「言いたいことを言える状況」を作ってもらってるということだ。
どんな集団にも必ず「バランサー」がいるはずだ。そしてバランサーは必ずと言っていいほど、気を遣って周りを見て察してるはずだ。
そういったそれぞれの役割を果たすからこそ人と人の協力が生まれ、明日を生きていくことができる。と思っている。
俺はいつもどちらかと言うと「バランサー」にまわることが多い。あっちこっち気を遣ってる。チームの力が最大限に出るように心がけている。それは大したことがないし、配慮が足りてないかもしれないが、それが俺の役割だと思っている。
まさに「セカンドの7番」だ。ミスは許されぬ程ではないけど、ミスすると目立つ。でもアベレージは高いものを保つように見られている。
本当に気遣いができる人は、気遣われていることすら気付かせないのかな。そうなると俺はまだまだだ。
気遣いをして感謝されるのが気持ちの良いこと。
でも先に「感謝されたい!」という想いが前のめりに出てきちゃうと「おせっかい」になってしまう。
「言いたいこと言っていいんだよ」なんて言われてもとてもじゃないけど、言える気がしない。でも配慮しすぎて「結局何が言いたいの?」ってなる。
端的に。伝わりやすく。でも配慮も忘れずに。
人にどう思われても関係ない。なんてのは嘘だな。
その場かぎりの関係ならいいけど、そういった「勧善懲悪」的なことをしてしまった自分が好きじゃない。
だから言いたいことを言えなくなってしまう…
でも気付いてくれるひと、
話を聞こうとしてくれるひと、
否定も共感も無理やりしないひと、
自分のこと以外もちゃんと考えるひと、
そんな人がいてくれるならちょっとは「言いたいこと」を言ってみようかな。
気遣いこそ、尊さよ。
気遣いが環境と場の空気を作り、波紋させていく。
そんなところが「働く場所」ならいいよな。
広がれ、気遣いぃぃぃ〜!!!
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