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かたわらにあることで 10月17日

「かたわらにあることで」というタイトルで
陶芸家・五月女 寛さんの個展を13日から開催している。
東京でお店をやっていた頃も五月女さんの展示は行っていたが、
このタイトルでの開催はin-kyoが三春に移転をしてからで、
今回で3度目となる。

私はネーミングが苦手だ。
お店の名前、友人から依頼を受けたお米の名前、
本のタイトルだってそうだ。愛猫スイとモクのときも悩みに悩んだ。
あぁでもない、こうでもないとこねくり回して、もっと気の利いたものは
ないのだろうかと頭を悩ます。ま、その出所となる頭は一緒なのだから
どれだけ考えても、案外とはじめに思いついたものに落ち着くことが多いのだが、ピタッとピントを合わせるように、自分の中でしっくりとくるまでにはとても時間がかかる。

展示のタイトルにしてもそうだ。
作家の方からすでに決まっているテーマを挙げて頂く場合もあるが
今回の五月女さんの展示「かたわらにあることで」は、私が頭を悩ませながら考えたもの。だからといってこのタイトル(テーマ)に添って作品作りをして頂くつもりで付けたわけではない。
作品はすでにかたちとなって、五月女さんの手から生み出されていた。
私(お店)はそれらを作り手と、使い手(手にする人)を結ぶ、いわばつなぎ目のような役割としての言葉を探っていった。

かたわらにあることで

ホッとするもの
嬉しくなるもの
こころが潤うもの
穏やかさや、たおやかな気持ちになるもの


足元に咲く草花、遠くには雄大な山々が広がり、
シャラシャラと軽やかな音をさせながら風にたなびく稲穂は黄金色。
小川を流れる水の音や、鳥の歌声といった自然の豊かさを
身近に感じさせてくれるのは、五月女さんの作品ならではだ。



作品に添う言葉を手がかりに、これから手にする人がどれだけイメージを
広げることができるか。それを何度も何度もしつこく考えてみる。
そんな私の力みなどどこ吹く風といった様子で、野の草花は
まるでそこから芽を出したかのように、言葉などよりも
五月女さんの作品にスッと馴染んで静かに佇んでいる。

五月女さんの作品はどれも印象的なのだが、そのひとつに「四角い花入れ」と名付けられたものがある。これは現在は長野県に暮らす五月女さんが、
まだ東京で制作をしていた頃のこと。ひび割れたアスファルトから逞しく、健気に芽を出して育つ野の草花の様子そのものを、かたちにしてみたいという思いから生まれた作品だ。
作品の背景に含まれるそんな風景がかたわらにあることで、どれだけ気持ちを豊かにすることができるか。元気がないときにも勇気づけられることか。

二年に一度、開催している展示。
6年かけて3度目となる今回、このタイトルも私の中でもようやく
しっくりと落ち着いてきたようでホッとしている。

「かたわらにあることで」

手にした多くの人たちの暮らしに、
何をもたらしてくれているのだろう。
ネーミングのお役目は付けて終わりなのではなく、
その先の未来を想像する楽しみももれなくついくる。
だからなおのこと重みと難しさを感じている。

10月17日(火)はれ 最高気温18℃ 最低気温9℃
1点ずつ違いのある作品を、ゆっくりじっくりご覧になる方が多くて
嬉しい。秋も深まり、木々の葉も色づいてきた。