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こんにちは!

長谷川幸洋です。

今回、初めて「note」に連載コラムを書くことにしました。

私は現役の新聞記者(正確には論説委員)の時代から、「月刊現代」や「FACTA」「週刊ポスト」など、さまざまな媒体に連載記事を書いてきました。これらはもう終了しましたが、いまも「現代ビジネス」や「夕刊フジ」「月刊Hanada」「四国新聞」「北國新聞」「富山新聞」などに連載が続いています。

それだけ書いていて、なぜ、いま「note」なのか。

一部の連載がまもなく終了するという事情もありますが、それ以上に大きな理由は「本当に自分の書きたいものを書きたい」からです。

上に紹介した連載は、どの媒体も例外なく、私に自由に書かせてくれましたし、いまもそうです。でも、どれも読者あっての商業メディアですから「自由に」と言っても、読者を無視はできません。編集者に「こんな記事は読者の興味は引かないし、読まれない」と思われれば、いずれ連載は打ち切られてしまいます。私が20年以上もずっと途切れることなく、どこかのメディアで連載を続けてこれたのは、読者がいたからです。

そんな仕事をしているうちに、いつか私自身が「読者に読まれるものを書こう」と思うようになっていたのも、当然ですね。だって、「プロのジャーナリスト」として生きていくためには、読者がいない記事を書いていたら、食べていけないんですから(笑)。

でも、年齢を重ねるうちに、だんだん「自分の書きたいこと、言いたいことを言わせてもらおう」と思う気持ちが一層、強くなりました。いま、私は71歳。普通なら、現役の社会生活から引退している年齢です。これだけ働いたんだから、そろそろ勝手を言わせてもらってもいいでしょう(笑)。

いまや、誰でも「ジャーナリスト」になれる時代です。この「note」だって、一応、審査はありましたが、希望すれば、誰にもコラムを書くチャンスは与えられています。YouTubeの配信もそうです。

私の定義では「プロのジャーナリスト」というのは、自分の記事やコラム、番組で情報を発信して「食べていける人」を指します。新聞社やテレビ局で報道に携わっている人も一応、ジャーナリストということになっていますが、私は本心では「彼らはサラリーマン」と思っています。たまたまメディア企業に勤めているだけです。

その証拠に、会社を辞めたら、サラリーマン・ジャーナリストのほとんどは何も発信しなくなってしまいます。私と同世代の元新聞記者で、いまでも現役のジャーナリストとして活躍している人は、ほんの数える程度しかいません。

幸い、私はプロのジャーナリストとして仕事を続けてこれました。もう十分、という気持ちもあります。それで、ようやく「自分が本当にやりたい仕事をしよう」と思ったわけです。

70歳になった去年の1月からニコ生で「長谷川幸洋Tonight」という番組を始めました。これは会員制の有料チャンネルです。こちらも、私の言いたいことを言う番組ですが、おかげさまで、なんとか軌道に乗りました。

今度は同じく会員制の有料コラム「note」を始めてみた、という次第です。編集者はいません。そこが商業メディアと違う点です。つまり、編集者の顔色をうかがう必要はない。私が書きたいことを、好きなときに書けばいいだけです。会員制ですから、成功しようと失敗しようと、私の責任です。

もちろん、多くの人に読んでもらえたら、うれしいです。だからといって、読者の関心を惹きそうなテーマばかりを選ぶつもりもありません。あくまで、私が興味をもって「これをぜひ、書いておきたい」と思う話を書くつもりです。

日本と世界は大激動の時代を迎えています。

これから、どういう世界になるのか。

残念ながら、いまのところ、あまり明るい未来は見通せません。「戦争か平和か」と言えば、間違いなく「戦争の時代に突入した」と思います。数年前まで盛んにもてはやされた「グローバル化」とか「国境なき世界」という時代は、完全に終わりを告げました。おそらく、多くの読者のみなさんがご存命中には、そんな世界は戻ってこない、と思います。

そんななかで、私たちはどうしたらいいのか。

私は「世界の現実を冷静に見極めて、そのときどきでベストと思われる選択をするしかない」と思っています。何がベストなのかは、簡単には分かりません。おそらく、いくつかの選択肢があるでしょう。でも、少なくとも「ベストらしい答え」を出すには、大前提として「日本と世界がどう動いているのか」を知らなくてはなりません。

私はこの連載コラムで、そういう情報を提供したいと思っています。

それは、必ずしも「読者が読みたい」と思うテーマではないかもしれません。いや、その確率は結構、高い。というのは、私が思うに、日本の商業メディアは「日本や日本人にとって重要な情報」ではなく、そのときどきで「読者に読まれる情報」を追い求める傾向が強いからです。その結果、読者の側もいつのまにか、商業メディアが提供する情報とその世界観に染まっているのではないでしょうか。

もちろん、私と読者の関心事が一致していれば、ありがたいですが、万が一、違っていたとしても、私を責めないでくださいね(笑)。私は勝手に書くつもりなので、その際は、どうぞご自由になさってください。

国際問題について、他の多くのコラムとの一番の違いは、私のコラムは、ほぼ例外なく、記事の根拠になった主要な元情報(ほとんどは英語)を提示します。読者が情報の出所を確認できるようにするためです。英語の世界では、元情報になった出典を提示するのは、メディアの記事であろうと、研究者の論文であろうと、実は「常識」です。

ところが、日本語の世界では、そうなっていません。それは日本語という言語に由来するのではなく、情報の信頼性に対する感性の違いではないか、と思います。読者が自分自身で情報の出所を辿って、真偽を確認できないのでは、その情報は信頼できない。そういう感性が、筆者の側にも読者の側にもない。だから、出所を明示していない記事が氾濫している。

私は、そういう日本の活字文化に納得していません。それでは、いつまで経っても、情報提供者の世界観に染まっていくだけです。時間のある読者はぜひ、元情報も参照してみてください。視野が広がるのは間違いありません。だって、私が提供するのは、元情報のごくほんの一部にすぎないんですから。私は、それで大いに満足です。読者にとっても、一口で二倍も三倍もおいしいはずです。

そんなことを考えながら、私の連載をスタートします。

今回はご挨拶の「ゼロ回目」ということで、次回から「1回目」をスタートします。どうぞ、よろしくお願いします。


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長年のメディア経験を踏まえて、激動する日本と世界のニュースを深く広く掘り下げて解説します。原則として…

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