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【劇評239】幸四郎、錦之助、歌六の『盛綱陣屋』。極限の一刻を生きる。

 だれもが承知の諸般の事情で、開幕が遅れた第二部を観た。
 ここまで感染状況がすすむと、だれがいつ罹患するかわからない。隼人も歌昇もさぞ辛い思いでいるだろう。本当に困難な状況を切り抜け、第二部を開けた関係者に感謝しています。
 
 さて、『盛綱陣屋』である。
 いわずとしれた時代物の重い出し物で、顔が揃わなければとても出せない。まだまだ、困難が続く今、伝承を絶やさないためにこの演目を出したのは貴重である。

 よい点がいくつもある。
 まず第一に幸四郎の盛綱と錦之助の秀盛のせめぎ合いに緊迫感がある。とらわれの身となった小四郎(丑之助)をめぐって、さまざまな思惑、想像が盛綱のなかでふくらんでいるのがわかる。出では、幸四郎の盛綱に貫禄が欠けるように思ったが、劇が進むうちに、さまざまな幻影の虜になり、的確な手を打てなくなった武将、極限状態にいる人間として一貫しているのがよくわかった。

 錦之助は、『御存知 鈴ヶ森』に続いて厚みがある。盛綱の言葉の裏を読み、思考を課なせている様子が見える。花道から揚幕へ、兵を押し込んでいく気迫もよい。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。