見出し画像

松岡和子の人生に迫る『逃げても、逃げてもシェイクスピア』

二○二一年五月、松岡和子は、『終わりよければすべてよし』を筑摩書房から刊行し、シェイクスピア戯曲三十七作品の個人訳をなしとげた。松岡は単に書斎の人ではない。稽古場に連日のように通い詰め、演出家や俳優とディスカッションしながら訳業を仕上げていく。まさしく演劇現場の人であった。

 草生亜紀子による『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』(新潮社)は、この困難な訳業とともにある彼女の人生を詳しく取材している。

 今回、明らかになったのは、幼い頃過ごした満州国についてである。司法部次長、文教部次長を歴任した父、前野茂とともに、第二次世界大戦終戦のとき、一家は満州の新京に暮らしていた。茂がソ連によって抑留されたために、母幸子は、幼子ふたりと新生児を連れて内地に引き上げなければならなかった。その苛酷な体験を私たちは、この本によって追体験することになる。

 劇作家・演出家の野田秀樹には、満州国を舞台にした『エッグ』という作品がある。この戯曲を書くにあたって、松岡と小田島雄志に取材したと聞いた。松岡の前に、シェイクスピア戯曲の全訳を成し遂げたのは、小田島雄志だから、このふたりがいずれも満州国からの引き揚げ者だった偶然に驚いた覚えがある。

 さて、本書は、松岡にとって父、母の世代の体験を掘り起こしただけではない。東京医科歯科大学の教授職から離れて、翻訳家、演劇評論家として活動してきた松岡自身の人生をも詳細にたどる。多忙を極める仕事とともに、松岡は、子育て、義母や夫の介護に追われてきた。私自身は、松岡から生活についての愚痴を聞いたことがない。人に言えない苦労があったにもかかわらず、なぜ人にもらしたりしなかったのか。

 その理由が本書の核心にある。義母ツルの介護を引き受けたとき「引き受けると決めたならば、嫌な顔をしないこと」と決意したのだという。
 「かつて姑に子供の世話を託したとき、ツルは子守はしてくれるものの、露骨に嫌な顔をした。和子からすれば、そんな顔をされるとせっかく持っていた感謝の気持ちがなくなってしまう。その経験から、何かを引き受けるなら絶対にニコニコしてやろうと和子は決めた。ツルを反面教師として手に入れたその原則は、仕事においても、暮らしの他の場面でも貫かれている」

 この一節を読んで、松岡の笑顔は、こうした覚悟によって支えられていたのだとわかった。
 また、きれいごとではない本音を引き出したところで、草生の手柄を思った。この件りを読んだ読者は、自分自身の人生の困難な局面で、救われるのではないか。そんな思いがこみ上げてきた。
 本書は、常人にはなしとげることのできない偉業を達成した女性が、社会変動のなかで、いかに生き抜いてきたかを教えてくれた。

ここから先は

0字

すべての有料記事はこのマガジンに投稿します。演劇関係の記事を手軽に読みたい方に、定期購入をおすすめします。

歌舞伎や現代演劇を中心とした劇評や、お芝居や本に関する記事は、このマガジンを定期購読していただくとすべてお読みいただけます。月に3から5本…

年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。