
【劇評162】『メアリー・スチュアート』絶対的な孤独。☆★★★★
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国王ではない。女王の物語である。
フリードリッヒ・シラー作の『メアリー・スチュアート』(森新太郎演出)は、宮廷の権力がいかに移ろいやすく、儚いものかを描いている。
スティーブン・スペンダーによる上演台本は、メアリー・スチュアート(長谷川京子)とエリザベス一世(シルビア・グラブ)を軸にすえて、彼女たちをめぐる宮廷の貴族たちの忠誠と変節を嘲笑している。
ハンサムなレスター伯は、ふたりの愛を弄んでいるかにみえて、決して何も手に入れることが出来ない。
陰謀家のバーリー(山崎一)は、エリザベス女王の忠臣だが、本当の信頼を得られない。
サー・ポーレット(山本亨)は、メアリーを守り通そうとするが果たせない。
タルボット伯(藤木孝)は、メアリーに好意的だが、宮廷人としての知力に欠けている。
サー・モーティマー(三浦涼介)は、メアリーに愛を捧げ、軟禁状態から救い出そうとするが、自殺に追い込まれる。
男たちは、自分の思うがままに、ふたりの女王に近づくが、その忠誠も野望も満たされない。
ならば権力の中枢にいるふたりの女王はどうか。
彼女たちも自らの権威の保持に追われ、プライドを守ることに汲々としている。権力に座についたとたんに、失うことが怖くなる。権力は、ひとりの人間を孤独に突き落とす。
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25歳の頃から演劇の評論を書いています。呆れるほど長い時間が過ぎました。書くことは、今も、好きです。コロナウィルスの影響で、さて、どうなるのか、事態を見守るのも批評家の役目かと思っています。
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