【劇評168】愛之助、壱太郎の『連獅子』。勘九郎と巳之助の『棒しばり』。二本の舞踊ものがたり。
小津安二郎の映画だったろうか、それとも三島由紀夫の小説だったろうか。
歌舞伎座が下お見合いの場となる描写があったように思う。欧州のオペラ座も同様だろうけれど、国を代表する豪奢な劇場は、単に観劇の場ではなく社交の場であった。
また、消閑という役割もあって、私の父の世代は、あまり気に染まない幕は抜いて、食道でビールをゆっくり飲んでいた。
当時は、なんと不真面目なと思っていたが、今は、そんなのんびりした情景が懐かしく思い出される。
二月の千穐楽から、八月の初日まで。長らく閉場していた歌舞伎座がようやく開いた。
新型コロナウィルスが猛威を振るうなか、万全の体制をしいて、ともかく感染者がでないように考え抜かれている。
小劇場ではないから、舞台と観客席には充分な距離がある。
劇場側としては、観客と観客、役者と役者、役者と地方のあいだに安全な距離をとるために腐心したのがよくわかった。
四部制の幕間は、時間をとって徹底した消毒にあてられている。土産物屋や喫茶も、観客席から直接は行けない。ロビーや客席内での談笑も控えるように求められる。人交わりを最低限にするのが、観客の安全を守り、興行を継続させるための唯一の方法となっている。
狂言一本にこの観劇料は高いとの声も聞く。
私に製作費の積算はできないが、どう考えても採算が割れているのではないか。それでも、歌舞伎座は開ければならない使命感が劇場スタッフを支えていると思った。その思いに深く感謝する。
さて、この稿では、第一部『連獅子』と第二部『棒しばり』について書く。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。