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【追悼】二代目中村吉右衛門の夢

 悔いはないといえば、悔いはない。
 悔いがあるといえば、悔いがある。
 死は、だれにも等しく訪れると知ってはいても、残された人間に混乱をもたらす。

 悔いがないのは、私が自覚的に歌舞伎を観始めた一九七五年から、二○二一年三月の『楼門五三桐』まで、四十五年近い歳月の舞台が、例外なくすぐれていたからである。

 初代白鸚の次男として生まれ、祖父、初代吉右衛門の膝下で育てられた。その幼年時代の苦しみについては、本人が自伝で繰り返し語っている。

 初代吉右衛門の一代で築いた藝を、なんとか血縁に伝えたいという思い。その思いを受け止め、初代の没後も歌舞伎の精髄を舞台に実現していく意志は、並外れたものだった。

 時代物の第一人者として「俊寛」の俊寛、「熊谷陣屋」の熊谷直実、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助、「伊賀越道中双六」唐木政右衛門、「引窓」の南与兵衛、そして「勧進帳」の弁慶が思い出深い。
 世話物にもすぐれ、「河内山」の河内山宗俊、「幡随長兵衛」の長兵衛、「籠釣瓶花街酔醒」の佐野次郎左衛門、「松竹梅湯島掛額」の長兵衛の剛柔を兼ね備えた技芸が忘れがたい。

 これほどすぐれた舞台が生まれたのは、ほとんど奇跡のようで、今となっては、まるで夢を見ていたような心地さえする。
 『楼門五三桐』の石川五右衛門を観たときも、芸容の大きさに圧倒された。フランス料理店で倒れたと聞いたときも、復活を疑わなかった。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。