【劇評301】歌舞伎役者の一員として責任を果たす。初代尾上眞秀の初舞台。
上演年表を眺めて飽きることがない。
もっとも手軽なのは、歌舞伎座の筋書で、戦後ではあるにしても、上演年月、配役、備考、上演時間がコンパクトにまとまっている。幕間に、年表を眺め、自分が観てきた舞台を思い出すのは、歌舞伎見物の楽しみだと思う。
團菊祭五月大歌舞伎。昨年の團十郎襲名によって、十五年振りに團十郎、菊五郎が同じ舞台に乗る。今を盛りの松禄、團十郎、菊之助に、大立者たちがからんで大顔合わせとなるのが期待された。
まずは、『対面』。こうした定型の役柄の複雑な組み合わせによって成立する様式的な劇は、それぞれの役者がこの劇にどんな記憶を持っているかが、重い意味を持つ。
梅玉、魁春は、六世歌右衞門の膝下で育ったから、歌右衞門が大磯の虎を勤めた舞台が規範となっているに違いない。年表をたどると、六世が最後の大磯の虎は、平成三年の五月歌舞伎座。二代目辰之助(のちに三代目松緑を追贈)の襲名披露興行で、辰之助の五郎、菊五郎の十郎である。清新な五郎十郎が今も目に焼き付いている。
ひるがえって、今回、五郎、十郎を勤めた松也、尾上右近は、どんな舞台を観てきたのだろうか。ふたりとも天才子役として鳴らした役者だから、年齢的に松也は先にあげた舞台に間に合っている可能性がある。
現実の舞台では、工藤に大して五郎、十郎に会ってくれと取りなす小林を勤めた巳之助をおもしろく観た。
花道の漬け際で、ふたりを呼び出すときの調子の良さ。五郎十郎がお互いを牽制しながら、次第に工藤の傍へと詰め寄るあたりを見守る様子。いずれも父、十代目三津五郎ゆずりで、研究のあとが観られた。
また、新悟の化粧坂の少将が、魁春の大磯の虎と対になって、落ち着きを見せている。こうして、新しい世代の『対面』がつくられていくのだろう。
さて、大佛次郎が十一代目團十郎(当時海老蔵)のために書き下ろした『若き日の信長』。私はもとより十一代目の舞台を観ていない。けれども、十二代目のおおらかさ、特に序幕、寺に近い丘の上で村の子どもと戯れる件が、春風駘蕩たる場となって、ひきつけられた。
それに対して、当代團十郎は、より切っ先の強い芸風である。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。