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【劇評269】悪夢はむしろ現実に似ている。「東のボルゾイ」の新作『バウワウ』は、綱渡りを敢行する。

 眠れない夜は、時間の経つのが遅い。
 昔、飼っていた犬が、突然、人間の姿で現れて、不眠に取り憑かれた女性は、犬に誘われ、悪夢のような長い散歩に出る。

 「東のボルゾイ」の新作ミュージカル『バウワウ』(島川柊作 久野飛鳥作曲/演奏 大舘美佐子演出)は、現実と無意識が交錯する不可思議な世界を描いている。

 大きな企業の新人社員矢野弓(石橋佑香)がソファに横たわって悶々としていると、犬のペロ・ベルリオンテ(阿部美月)が、現れて、ふたりは矢野が寝付けない理由を探しに、迷宮のような都市の夜をさまよう。
 工事現場で交通整理をするAK(曽根大雅)とリボルバー(志村知紀)は、謎めいた問答を仕掛けてくる。
 矢野はまるで、不眠の原因を自ら認めたくないようだ。現実とも夢ともつかない場面のなかで、矢野は会社の先輩眉山(鈴木大菜)からセクハラを受けた場面が再現される。
 さらに豊田部長(三浦詩乃)から、眉山追い落としのための駒として、社内の権力闘争に巻き込まれ、さらには同僚たちから疑惑の目が向けられたとわかる。
 ボーイフレンドの剣(須田遼太郎)の関係さえも、ぎくしゃくとしてくる。姉の文(関万由子)は、弓の苦境に対し怒りを炸裂させる。

 ミュージカルの枠組みのなかで、アクチュアルな社会問題をいかに扱うか。
 観客は、陶酔感のある歌唱やキレのあるダンスを求めてミュージカルに来るなかで、スタッフ・キャストは、むずかしい綱渡りをあえて行っている。

 音楽の持つ楽しさだけが、ミュージカルではない。躍動するダンスで埋め尽くされるのがミュージカルではない。苛酷で無情な都市のなかで、強烈なストレスのもとで、仕事に取り組む二十代の女性のあからさまな心情を描こうとしている。

 公的な援護を求めれば、かえって苦痛を与えられかねないなかで、弓は、ただ忘れることで、不眠という現実を乗り切ろうとする。ボーイフレンドや姉にも頼ることが出来ない。絶望的な孤立感が浮き彫りになる。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。