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俳優の秘密。

 二○○○年に蜷川幸雄は、ジョン・バートンとケネス・カヴァンダーによる『グリークス』を上演している。十本のギリシア悲劇を再構成した戯曲で、三夜連続、もしくは十時間余りをかけて一日通しで上演された。

 この作品は、蜷川にとって、これまでの演出家人生の総決算と言うべく作品だった。ギリシア悲劇を初演当時のように、仮面を使って上演するやりかたに、蜷川はまっすぐに異議を唱えた。

「コロスがあるから、ギリシア悲劇が成り立つ。けれどもコロスに仮面をかぶらせないで、どう演出していくか、どういう役割を担わせていくのかが、僕の演出の存在証明になっています。ギリシア時代には仮面を使っていた。歴史的な事実にのっとって、そういう演出が当然のようにいわれているけれども、現在の演出家として考えたときに、俳優の素顔を見せないまま、何時間も上演してしまうことはできない。そういう演出家は、俳優を物として扱っているのと同じです」(蜷川幸雄+長谷部浩『演出術』ちくま文庫 十七頁)

 この言葉は、六九年『心情あふるる軽薄さ』で本格的な演出家デビューをする以前は、ひとりの俳優として生きてきた蜷川の実感が感じられた。
 いや、実感と言うよりは、ふつふつとした怒りを感じた。
 舞台を自分自身の作品として考える演出家に対する異議申し立てが、俳優としての蜷川にはあったのだろう。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。