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藤田俊太郎 師・蜷川幸雄の思い出。その2 俳優から演出助手へ。新潟で鮨を食べながら。

長谷部 それで、「ロミオとジュリエット」(2004年12月 彩の国さいたま芸術劇場、翌月大坂シアタードラマシティ)に、俳優として出て、その後蜷川さんから「演出部に変わったら」って言われたと聞きました?

藤田 そうですね。ナタリー(ステージナタリー)で話したことと同じことになってしまうんですけど。まさに、2005年の2月です。

長谷部 「将門(「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」)」(2005年2月 シアターコクーン)をやってる時ですか?

藤田 「将門」は終わってるのに、「ロミオとジュリエット」の地方公演は続いてるんですよ。地方の最後のほうに新潟公演がありまして、蜷川さんが来たんです。
 その時に、本当にたまたまなんですけど、二人で食事をする流れになりました。舞台稽古が長引いたか、一つではない理由がたくさんあったと思うんですけど、スタッフが来れず。おそらく(演出補の井上)尊晶さんも誘われてたと思うんですけど、来れず。僕と蜷川さん二人がお寿司屋さんに行くっていう流れになりました。
 二人でカウンターでお寿司を食べました。雪の新潟。はじめての二人で緊張したんですけど、蜷川さんがいろんなことを感じてたと思うんです。「率直にどうだ」っておっしゃって、僕は、「正直に言いますと、俳優としての未来は僕にはないと思います」ってことを言いました。

長谷部 (笑)

藤田 「藤原竜也くんのロミオが圧倒的に素晴らしかったです」と。ああいう方とこれから競ったり、一緒の世界でやっていくことは、当然ですけど、基礎もなければ、それを発展させる力もない僕には無理です。俳優としての力量は一年で身に付くはずもないです。まあ、身に付く方もいるんですけど、資質としてですね。「俳優としては正直無理だと思ってる」と、蜷川さんに言ったところ、「そうだよな」と。

長谷部 (笑)

藤田 「俺もそう思うんだよ」ってことで(笑)

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。