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【追悼】無類の役者、四代目左團次のユーモアについて。

 代表作ではなく、口上から追悼を書き始めることをお許しいただきたい。
 襲名や追善の口上で、左團次さんが参加されると聞くやいなや、いったいどんな暴露話やブラックジョークの矢が放たれるか、楽しみでならなかった。

 なかでも、抱腹絶倒というよりは、一瞬凍るような気にさせるのが、左團次さんの真骨頂だった。八十助さんが十代目三津五郎襲名の席、私が聞いたのは、「金も女もわしゃいらぬ。せめても少し背がほしい」であった。

 三津五郎さんは、背が低かったけれども、『勧進帳』の弁慶にも定評があったし、時代物の大役も自分のものとされていたから、気にされたりはしなかったろう。左團次さんが列席するとこうなるのは目に見えていたので、苦笑されていた。

 歌舞伎役者のなかでも、もっとも背が高い左團次さんがいうと、なんだか、ユーモラスな味もあった。口上の席は、「先代にはお世話になりました」とか定型の文句が並ぶ中で、自分くらいは、本音の口上を言いたい、お客様にサービスしたいとの気持ちが強かったのだろうと思う。

 今、思い返せば、十八代目中村勘三郎さんの勘九郎時代、愛嬌のある勘三郎さんとともに、テレビ番組の『今宵はKANKURO』に出演されていた。勘三郎さんやゲストを持ち上げるのではなく、不思議なおかしみをみせていた。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。