【劇評233】海老蔵の「北山櫻」。超特急なれど、実質あり。
海老蔵の行方が気になっている。
團十郎襲名が、コロナウィルスの脅威によって延期になり、まだ予定も発表になっていない。歌舞伎座出演から遠ざかって、二年。海老蔵が第三部に用意したのは、『通し狂言雷神不動北山櫻』である。
筋書によれば、昭和四十二年一月、二代目松緑による復活では、五時間二十一分。平成八年一月、十二代目團十郎による通しでも、五時間一分。現行にもっとも近い平成二十一年一月の海老蔵による短縮版でも三時間四十二分だから、三部制を取っての公演には、大胆なカットが必要になった。
苦渋の選択であるのは、よくわかる。
単純に考えれば、『毛抜』と『鳴神』を、ミドリとして上演すればよいではないかと思ってしまう。けれども、荒事二番では、興行にならない。『通し狂言雷神不動北山櫻』を、海老蔵が車輪で勤めることが必要なのだと痛切に思う。
藤間勘十郎の演出・振付による今回の上演は、序幕、二幕目が一時間十三分。三幕目と大詰が一時間十二分。計二時間二十五分と驚異的な短さとなった。
ここまで短縮するのであれば、パネルを使っての口上も果たして必要なのかが疑問になってくる。けれど、先の理由と同様、こうした「口上」に近いサービスがなければ、興行にならない。海老蔵が追い詰められているのではなく、歌舞伎界に愛着を持つすべての人々が、観客を含めて、こうした困難のなかにいると思い知った。
こうした懸命の努力によって、半減しているとはいえ、客席は満員となった。しばらくは、苦渋の狂言立てが続くのだろう。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。