藤田俊太郎 師・蜷川幸雄の思い出。蜷川スタジオのオーディションを俳優として受けた。その1
2016年9月12日。私は『権力と孤独 蜷川幸雄の時代』(岩波書店)の書き下ろしをしていた。そのため、10年に渡って蜷川幸雄の演出助手を勤めた藤田俊太郎君に自宅に来てもらい取材をした。書籍にはごく一部分しか使うことができなかったので、ここに再録しておきます。
長谷部浩 藤田君は東京芸術大学在学中にニナガワスタジオに入りましたね。
藤田 そうですね。入ったのは、2004年の4月です。
長谷部 いくつだったっけ?
藤田 24歳ですね。
長谷部 24か。
藤田 すいません、23です。23です。入って24歳なので、23歳の時に入りました。
長谷部 この時、役がつく前におじいさんかなんかの遺産が入ったとかいって、呼ばれていないのに、いきなり蜷川さんがギリシャにロケハンにいったとき、行ったのを覚えています。
藤田 行きました。遺産は入ってないんですけど、それまで貯めていたお金がありました。ギリシャにいきたい気持ちも、もちろんあったんですけど、2004年5月、萬斎さんの「オイディプス王」ですね。これを見たくて、行きました。ここで、間違いなく蜷川さんの印象に残ってますね。突然一人、カンパニーで来たのは僕だけだったので、「本当に来たのか」って。「行きます」とは言っていたんですけど。
しかも、ちょうど蜷川さんが喜ばれるネタがありました。ギリシャへの直行便がないものですから、ローマに行ってからギリシャに行ったので、バチカンとかに行ったんです。それが僕のはじめての一人旅だったんです。
蜷川さんがはじめて一人旅をしたのもローマで、そのお話でかなり盛りあがりました。蜷川さんがローマに行ったのは、「ロミオとジュリエット」の初演の取材だったようです。
長谷部 なるほど。
藤田 「実は、僕もローマに行って来たんですよ」「ローマに行って来たのか」ってことで、かなり盛りあがりました。
長谷部 多分、そういうことも何もなかったら、(ひとりの俳優を)記憶されたりしないものですよね。
藤田 はい。今、思い出したこともあるんですけど、その時にアテネの古代劇場で、蜷川さんが何かと理由をつけて僕をそばに置いてくれたんですよ。スタジオに入ったばっかりなので、まわりに知ってる人は誰もいないんですよ。
「水とってきてくれ」とか、「差し入れ持って来てくれ」とか言われて、僕は素早く取りに行って、それで、「自分の楽屋使っていいぞ」ってなって、蜷川さんの楽屋に行ったんです。冷静に考えると、その時から助手としての一歩目があったような気がしますね。
長谷部 なるほどね。
藤田 そこで結構いろんな話をしました。逆に、海外公演初日に向けて、(参加した)役者さんたちとは近づかなかったんですね。そのときは知らなかったんですけど。
長谷部 本公演は7月ですね。
藤田 そうですね。真夏のギリシャは暑くて、蜷川さんによく凍った水を持って行きました。冷やしてましたね、ずっと。
長谷部 その時に、「ひょっとして使えるかも」って思われてたのかな。
藤田 もしかすると、そうですね。たしかに、そこからのつながりがあると思います。で、帰って来て、「ロミオとジュリエット」のピーター役やってみないかってことだったんで、当然ありますよね。ギリシャに行ってなかったら、「ロミオとジュリエット」には出てないと思います。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。