蜷川幸雄演出、菊之助主演『NINAGAWA 十二夜』のロンドン公演、新聞劇評(抜粋)
2009年にロンドンのバービカン劇場で行われた蜷川幸雄演出のシェイクスピア作品には、さまざまな劇評がザ・タイムズはじめ数々の新聞に書かれました。日本の劇評の惨憺たる現在を考えると、学ぶべき所があるように思います。
The Times 2009年3月26日
Donald Hutera
高度に様式化されたシチュエーション・コメディであるかのように、愉快な異国の人として、演じる役者たち
蜷川幸雄は三十年以上シェイクスピアに取り組んできたが、バービカン九度目の公演は、この偉大な演出家が、はじめて歌舞伎という由緒ある日本の芸術と真正面から取り組んで制作した舞台である。リスクを負う価値はあった。長年に渡って松竹大歌舞伎を勤めてきた俳優による蜷川版「十二夜」は、聡明かつ優雅なポピュラー・コメディーとなった。傑出しており、しばしば異なる性を演じるこの舞台は、この上もなく巧緻に展開する。
歌舞伎は十七世紀以来、男性だけで演じられてきた。その伝統と技は世代から次の世代へと受け継がれる。それには女方の伝統があり、女性の役を専門にする役者もいる。だからこそ、航海中の嵐で双子の兄セバスチャンと生き別れ、失恋しているオーシーノ公爵に男として仕えたヴァイオラの物語を選ぶのがふさわしい。
歌舞伎は、錯覚や思い違い、取り違えといったシェイクスピアのテーマに、巧妙で、痛快な層を重ねている。この特質は、二幕の冒頭、若手花形俳優、五代目尾上菊之助の所作事に結晶する。ヴァイオラとセバスチャンの二役を彼は演じるが、この場面では、男のふりをする女を演じている。贋の男性であるにもかかわらず、女性であるかのようにすべるように踊る。オーシーノと愛について語り合うそのすぐ前に。
蜷川は想像力豊かな舞台効果(嵐の船を含む)と、ユーモアを惜しみなく駆使し、この芝居に込められた感情の繊細さと--残酷さ--を支えている。マルヴォーリオの尊大さを台無しにするいたずら者たちによって、このユーモアは際立ってくる。
西欧の観客に向けて、役者たちは、高度に様式化されたシチュエーション・コメディであるかのように、愉快な異国の人として演じている。マルヴォーリオとフェステの二役を務めた七代目尾上菊五郎は、賞賛に値する。とはいえ、私が最優秀賞を与えるとすれば、マライア役、市川亀治郎の名脇役としての才能だろう。五代目中村時蔵は、一見控えめだが男装するヴァイオラに夢中になるオリヴィア役に長けている。
Guardian 2009年3月26日
桜の森によって、「マクベス」から「コリオレイナス」まで、日本人演出家、蜷川幸雄はシェイクスピアにあっと驚くような視覚的言語を与えてきた。今回初めて、歌舞伎という制約ある伝統演劇にまっすぐに挑んでいる。今回のはじめての試みは「Twelfth Night after Shakespeare」は磁器のような美しさがこもる黄昏ではあるが、強いられた出来事のようで、幸福な結婚とは感じられない。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。