【劇評166】豪華絢爛な音楽劇。高橋一生、浦井健治が人間の欲望と狂気を描く。☆★★★★
趣向と綯い交ぜの戯曲である。
井上ひさしの『天保一二年のシェイクスピア』はシェイクスピアの全作品を、『天保水滸伝』の世界に落とし込んだ芝居である。
元の講談に特に説明はいらないだろう。やくざの一家が対立する単純な筋に、リア王やロミオとジュリエットやリチャード三世やオセロの人間関係を、井上は超絶技巧のような手さばきで織り込んでいった。
そのため、蜷川幸雄やいのうえひでのりの演出で、この作品を観てきたが、どうしても、シェイクスピアのどの作品が織り込まれているかに注意がいってしまった。置き換えの手さばきばかりが気になり、舞台を愉しむには至らなかったというのが、正直なところだ。
今回、「豪華絢爛 祝祭音楽劇」と惹句がついた。
作曲は宮川彬良、演出は藤田俊太郎。
音楽劇というよりは、限りなくミュージカルに近い楽曲と演出である。
藤田が蜷川幸雄によく学んだステージングは、冒頭から手際がいい。
装置(松井るみ)を大胆に動かし、奥行きや高さを生かして群衆を展開する。
人間の生活を象徴的に見せ、しかも着物でのダンスをふんだんに織り込む。
ショーアップされた和物のミュージカルとして完成度が高い舞台となった。
はじめに趣向と綯い交ぜといったが、代表的な書き手に四世鶴屋南北がいる。この名手の作品には、大きな意味での主題が根底にある。南北の『東海道四谷怪談』でいえば、赤穂の禄を奪われた武士とその家族が、いかに江戸の底辺に生きるか。その陰惨きわまりない人間の生き方が浮かび上がる。
金と性への欲望に翻弄される人間
井上ひさしの『天保一二年のシェイクスピア』の主題は、金と性への欲望に翻弄される人間の果てしないエネルギーだろう。
食うや食わずの抱え百姓からのし上がるためには、裏切りも計略もためらわない。主にリチャード三世を重ねあわせた、佐渡の三世次(高橋一生)、ハムレットを模した、きじるしの王次(浦井健治)が、いかに負の記号を活力としていくかが焦点となる。
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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。