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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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2021年3月の記事一覧

英国の演出家による、演出家であり続けるための方法。NPOのリーダーにも、きっと役にたつはず。

 演出家が、プロダクションの立ち上がりから千穐楽まで、何を考えているのか。  ケイティ・ミッチェルの『ケイティ・ミッチェルの演出術 舞台俳優と仕事をするための14段階式クラフト』(亘理裕子訳 白水社)は、高邁な演出論ではない。  むしろ、刻々と移り変わる演劇制作の現場で、演出家が俳優やクリエィティブスタッフ(美術や照明や音響デザイナーらと)どんな関係を築くべきかを、自身の体験に基づきながら、克明に語っている。  また、それぞれの章には、サマリーがまとめられているので、今

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【劇評215】井上ひさし『日本人のへそ』。すべてを笑い飛ばす覚悟。

 作家は処女作に向けて成長するという。  世に出るきっかけとなった作品には、のちに書くモチーフやテーマがすべて埋蔵されているとの考えに基づいている。あるいはこうも言いかえることができる。あやゆる表現者は、同じモチーフやテーマを繰り返し書き続ける。  井上ひさしによる演劇界への本格的なデビュー作『日本人のへそ』(栗山民也演出)には、その輝かしい資質がふんだんに込められている。  東北から東京へ移住したときの言葉の齟齬、吃音の背景にある人間の無意識、階級社会をよじのぼるための

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自虐的な英国演劇。『ほんとうのハウンド警部』の計略とは?

 演劇の頽廃についての戯曲である。  トム・ストッパード作『ほんとうのハウンド警部』は、メタ・シアターという用語ではくるれない構造を持っている。  はじめ、舞台奥の客席には、ふたりの劇評家が座っている。全面には今、上演中の舞台が進行してる。ところが不思議なことに、舞台は奥の客席に向かってはいない。現実の観客席に向けてしつられられている。舞台のしつらえに、あらかじめ狂いが設定されているのだ。 この指定は、戯曲冒頭のト書きにある。演出家の工夫ではない。 だとすれば、客席

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カズオ・イシグロの最新作『クララのお日さま』。作家に操られることの喜び。

 カズオ・イシグロの最新作『クララのお日さま』は、AIが人間の仕事を奪っていく近未来を舞台としている。  お店のショーウィンドーに並んだクララは、店の外に関心を持つ。風景だけではない。街をゆきかう人々の営みに深い観察眼を持ち、やがて「友人」となるべき人間を助けるための学習を積み上げていく。  この小説のなかで、私が圧倒されるのは、クララが「友人」ジョジーと母親に選ばれ、購入されるまでの店内の様子と、クララの内面にある。圧倒的な描写力で、店のなかの光線の具合、その光と影、陰

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【劇評214】玉三郎の後に玉三郎はいない。歌舞伎座Bプロ。『雪』と『鐘ヶ岬』の藝境。

 歌舞伎座第三部、偶数日、奇数日という演目変更ではなく、玉三郎がふたつのプログラムを出して、みずからが構築した舞踊の総決算を行っている。  Aプロの『隅田川』が、六代目歌右衛門に対する返歌であるとすれば、Bプロの上『雪』は、故武原はんに向けての献花に相当する世に思った。  玉三郎は、文学座の杉村春子の当り役を継承する試みを長年にわたって行ってきた。地唄舞の『雪』をはじめて手がけたのは平成十二年の九月、ル・テアトル銀座での公演である。武原はんは、平成十年に亡くなっているから

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【劇評213】第三部Aプロ。玉三郎の『隅田川』。これは夢かあさましや

 役者が積み上げてきた技藝と伝承は、どんな関係にあるのか。  歌舞伎座第三部Aプロを観て、そんな疑問が浮かんだ。まずは吉右衛門、幸四郎の『楼門五三桐』である。 石川五右衛門という世紀の盗賊のイメージを極端に拡大した演目である。南禅寺に楼門に陣取り、天下を見下ろしている。その気宇壮大さがテーマの演目である。  吉右衛門は時代物での大きさを見せる英雄役者である。国崩し、辛抱立役の第一人者であるが、こうした役者の大きさを見せる芝居でも無類の大きさで舞台を圧する。 この大きさ

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【劇評212】昭和のアトリエで、私自身の過去が亡霊のようによみがえってきた。

 文学座のアトリエは、一九五○年の竣工である。チューダー様式のこと建物には、昭和の匂いがしみついている。たとえば、入口右手に座員の下駄箱があり、名前が張られて居る。よく観察すると、すでに退座した役者の名前も見つかる。おっとりした雰囲気が、文学座の持ち味なのだろう。  雷雨の夜、マキノノゾミ作、西川信廣演出の『昭和虞美人草』を観た。  夏目漱石の高名な小説を原作とし、時代を昭和の後期に移している。ロックが若い世代の支持を集め、一九七三年、中止になったローリングストーンズの来

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【劇評211】菊五郎と仁左衛門が、切り札を揃えた歌舞伎座第二部。

 歌舞伎は古典を中心とするレパトリーシアターである。  したがって、俳優には当たり狂言、当り役があり、この人がこの演目を出すならば間違いないと、観客は予想のもとに劇場に出かける。  大立者は、自家薬籠中の狂言がいつでも出せる状態でなければならぬ。令和三年になってからの歌舞伎座は、こうした大立者の切り札を次々と切ってきた。  三月大歌舞伎の第二部はその好例である。  『一谷嫩軍記』の「熊谷陣屋」は上演頻度も高く、名演も多い。そのなかで仁左衛門の「陣屋」は、自在さによって際立

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十年前の三月、私は新浦安から東京へと逃れた。

 十年前のことは、忘れられるはずもない。  浦安市の新浦安に住んでいた私は、深刻な被害を受けて、この街を去った。それがよかったのかどうかは、わからない。けれど、別の人生があのとき始まったのは確かだろうと思う。  しばらくは、ニューヨークの本社に呼び戻された友人のマンションに住まわせてもらった。このときは、トランクひとつで、新浦安を出たので、着る物も最小限だった。セーターを2枚にシャツを3枚。さすがに親しい友人から少し着る物を借りたが、て、心細い毎日で、クリーニング屋にも頻繁に

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【劇評210】勘九郎、七之助による追善となった『猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)』

 歌舞伎には、寺社が設立された経緯を構造として組み込まれている演目がある。『摂州合邦辻』は、大坂、四天王寺にほど近い月江寺建立。『三社祭』は、江戸、浅草、漁をしていて観世音菩薩像をすくいあげ、三社様の本尊としたという枠組みがある。中世の説話や説経節を日本の藝能は引き継いでいる証しだろうと思う。  ならば、江戸から綿々と繋がる歌舞伎の家系を寿ぐために、ある種の神話を新たに作ってしまおう。こうした新作舞踊ができたのは、先の伝統に連なる作劇の方法の流れがあるのだと思う。  今月

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【劇評209】芯のある時代物。菊之助渾身の『時今也桔梗旗揚』。

 緊急事態宣言下にはあるが、関係者の努力によって、芯のある芝居が観られるようになった。  今月の国立劇場は、歌舞伎名作入門と題した公演で、菊之助の『時今也桔梗旗揚(ときわいまききょうのはたあげ)』三幕がでた。多くは、「馬盥(ばだらい)」と「愛宕山」の場の上演だけれども、昭和五十八年、年吉右衛門が新橋演舞場で上演したとき、このふたつの場に先立つ「饗応」を復活した。  四世鶴屋南北の時代物として知られるが、明智光秀(劇中では武智光秀)が主君、織田信長(小田春永)を討った本能寺

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