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もうじき意味不明も響く時代がやってくる

「うちのサービスには、こんな意味がある」を訴求する企業や、それを取り上げるメディアが増えてきた。

情報が爆発し続け、サービスはコモディティ化し続け、機能価値そのものでは差別化できなくなった。Howとしての意味訴求も増えてくるだろう。

それによって「機能訴求」「価格訴求」が多かった時代より、間違いなく「息苦しさ」も増してくる。「ゴリ押しの意味情報」は、プロダクトとは無縁なことも多く、雑音と感じることの方が多いからだ。今度はそれに辟易する人が出てくる。

だから、もうじき「意味不明」も響く時代がやってくる。

意味不明なプロダクトは「クセになる」こと。「何も考えなくていい」「理解からの解放」は、意味の時代において、相対的に価値を増していくだろう。

そして意味不明な事は、意味不明だからこそ、再現性が難しい。だからこそ「意味不明」に引き付けられる人やアイデアがこれから注目されてくるだろう。だが「意味不明なアイデア」は、意味が理解され始めてしまうと、魅力を失っていく。「理解させない」ことも大事になってくる。ただ、それは意味が不要という意味ではない。

意味は「土壌」だ。土壌がよくなければ、良い「作物(プロダクト)」は生まれてこない。だが意味はプロダクトそのものにはならない。だから「良い土を使っている=良い野菜」とPRするのは、ある種の宗教に近い。

だから、企業が意味を見出すのは、広告代理店や役員会議室ではなく、プロダクトの現場やユーザーの現場からではないといけないと思う。

(次回予告)

(ネタはこちらのTwitterから生まれています)


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