愛を語っていいモノは、きっと売れ続けるコトになる
ここ数週間、リモート書店員、自分の読んだ本を中心に本をおすすめする活動をしている。
知り合い中心ではあるが、驚くほど買ってもらえる。数はそうでもない(月10本程度)が、確率はけっこう高いと思う。
「プロから教わる」より「近い人から聞く」方が売れる
以前に「本を買った動機を書く読書前感想文」という企画を立ち上げた。青山ブックセンターの協力もあり、30本ほどの動機が集まった。
意外と多い購入動機で「SNSやテレビなどで著者や作品を知る」→「友人や好きな人から紹介される」という流れがある。
広い認知と濃い言及の両方が必要なのだ。
そして、濃い言及は、自分との心理距離が近い人からだと強い。
評論家のようなプロの書評より、友人の「なんかうまく言えないけど、この本めちゃくちゃ好き」という感情を含んだ言葉の方が、本を買うスイッチになる。
自分の中のベストを語るようになる
これに気がついた後、おすすめのやり方を少し変えた。
答える、ではなく、語るようにした。
「その本を好きな理由や生まれたアイデアや起こした行動」を語るようになった(それまでは、おすすめを聞かれたとき「他の人がどう思うか?メジャーか?一般的な評価はどうか?あらすじをうまく説明できるか?」を気にしていた)。
そして「本を買うきっかけになる」「読みたい気持ちを思い出す」という声をもらうことが増えた。詳しい人から見たら、誤読もあるだろう。
だが、人の心を動かしている実感を掴めるようになった。
「基礎知識を幅広く学べるオススメの本を教えて?」と聞かれるとちょっと困った経験
できないこともあるのもわかった。
プロの読み手ではないので「知識を付けたい」というニーズや「間違いない本を紹介してほしい」という最大公約数の質問には、なかなか応えられない。
「自分にとってのベスト」は伝えることができても「確率の高いベター」を教えるのは難しい。
こうした問いに役立つのは、メディアや書評、Google先生の方だろう。網羅された情報の中から、信頼の集まっている最大公約数の本を選ぶのが良いと思う。結局は使い分け。
続く出版不況。スマホに適応できなかった書籍文化
書店バイト時代から、出版不況について十数年考え続けている。その糸口が少し見えてきた。
出版不況は長い。あいかわらず書籍の売り上げは落ち続けている。https://www.ajpea.or.jp/statistics/
コミックの方はなかなか好調だ。大きな理由は、漫画がスマホで読むのに違和感がないからだと思う。
この発見は、知り合いの森さんの観点から。
この分類は自分も共通するので、もっと多くの人に共通すると感じている。
(この視点については、この本にヒントがありそうなので、引き続き思考を重ねていきたい)
これからもデジタルで読む人が増え、デジタルで育った人が増えていく。それに適応できないテキストの書籍はどうしたらよいだろうか?
誤読が許される商品は語られ、そして売れ続ける
漫画は誤読を許されるが、書籍(特に小説やビジネス書)は誤読を許されない「厳かさ」があるように感じている。「正しい文章の読み方を教える国語」によるものかもしれない。読書感想文を嫌う人は多い。
鬼滅の刃にあるような「誤読の熱さ」が生まれないし、間違った読み方を書き手も読み手も忌避しているようだ。
新聞には、知識人というプロの読み手が書いた「正しい書評」が載る。正しい知識、深い理解、専門的な教育。
だが、読書前感想文でもわかったように「専門家による正しいレビュー」は、物を買うための理由にはならない。
それよりも、偏愛を生み出す魅力、そして偏愛から繰り出される誤読、顔の見える相手から伝えられる熱い誤読の方が、本を手に取るきっかけになっている。
そして誤読により読み手のものになった物語は、語り部・聞き手双方に、新しい熱量を生む。
この読み手が語り手に変わる感覚は、最近読んだTakramの渡邉康太郎さんの『COTEXT DESIGN』の影響を強く受けている。
良い映画は観たもの全員を語り部にする。人は作品に描かれている世界を語り、描かれていない風景をも語る。解釈をぶつけあう。しかしこのとき解釈の正否というものはほとんど意味をなさない。
渡邉康太郎『CONTEXT DESIGN』
メーカー(書籍なら出版社や著者)側の視点で踏み込んで考えると、本を売るきっかけに必要なのは、誤読を許し、弱い文脈をうむための活動だ。
コンテクストデザインは、読み手を書き手に、消費者を創作者に変えることを企図する。作者が作品に込めたメッセージやテーマ=「強い文脈」をきっかけに、読み手一人ひとりは解釈や読み解きをおこなう。この「弱い文脈」の表出こそを意図したデザイン活動が、世のなかに不足している。コンテクストデザインは個々の弱い文脈の表出を促す。
渡邉康太郎『CONTEXT DESIGN』
その意味で文藝春秋さんの、この試みは新しい。
僕にとってはちょっと特別な意味を持つ小さな書物であり、いろんな年代の人々に、いろんな読み方をしてもらえるといいなと思っている。
(村上春樹さんのコメントより抜粋)
「誤読が許されない空気」は、実体が無いようにも最近感じている。
読み手による創作がなされたとき、その作品は、本当に読み手の物となる。その創作は、その人を知る相手にとっては「強い文脈」となり深く届く。そして売れる。
語ることは感染する。感情が乗った小さな物語で、本を買った読み手は自分もまた語り部になる。先駆者によって「誤読が許されない空気」は払拭されているのだから。
そうして語り部が増えていことで、再び書籍が売れ始めることを願って、今日も、自分にとってのベストを推し続けようと思う。
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