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「人はもともと欠けるところのない存在である」

正確には「人はもともと想像力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である」といい、「コーチング・バイブル」という本に載っていた言葉です。

突然ですが「コーチング」というコミュニケーション技法があります。ひところブームになったような印象がなくもないような、ともあれ一定の世代の人や経営層が、マネジメントレイヤーに上がろうとする人に対して身につけるよう推奨しているテクニックで、わたしも身につけるのを勧められたひとりです。具体的にどんな感じかというと、コーチング、という技法を用いてコミュニケーションを行い、話を聞く上で感じたことをフィードバックして、相手のよいところや特性を引き出し、人材開発に役立てよう、というもの。(すごいざっくりですみません。あとはググっていただければ……)

自分がメンティーを持つようになり、ごく自然に「これはいい技法だからちょっと勉強してみようかな」と思えたのですが、なんかコーチングという単語に絡んで自己啓発セミナー的なアレがあったりちょっとマルチ商法との接近があったりと微妙な感じを漂わせているせいか、あまり普及している実感がなく、残念です。しかし、この「コーチング・バイブル」にあった「コーアクティブ・コーチング 4つの礎」という基本的な考え方がわりと好きだなと思っていて、周辺のもろもろは横に置いておいて、この考え方がもっと広まればいいなと感じているので、備忘録として書いておこうかな、と思います。

さて、この「コーチング・バイブル」にある、コーチングの基本的な考え方である「4つの礎」、そこにあるうちのひとつが、今回のタイトルの言葉です。「人はもともと想像力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である」、これはコーチングに際してはこれを前提として考えましょう、という「宣言」なのですが、これ、仕事に限らず、いろんなことに通じるなと思っています。

これに基づいて考えるとしたら、もし、わたしが仕事で部下を持ったとき、相手が職場で能力を発揮できていない場合、わたしが相手の能力を引き出せていないことが原因なのであって、相手の能力が低いわけではない、と信じましょう、という考え方になります。こう書くと、すごく「きれいごと」のように思えるんですが、自分の経験でいうと、なんか、こう、相手を信じよう、と決めてしまったら、スッと気持ちが楽になったんですよね。

特に英文だとよりイメージしやすいのではと思うんですけれども、それには「People are naturally creative, resourceful and whole.」とあり、「Perfect」ではなく「Whole」が「欠けるところのない存在」に該当します。これ、わたしも英語を日常語としていないので、ニュアンスがむつかしいんですけれど、「完璧」という表現は、していないわけです。人はそのままで、まるっと「欠けるところがない」んだから、上手に良さを引き出してあげるのがコーチの役目、という考え方なんですね。

以前は相手に期待をして、それが満たされないとガッカリしたりしていたわけですが、この発想を得てから、そういう緊張と落胆のサイクルから逃れられるようになりました。もちろん相手に対して「こういうことができるようになってくれたらいいな〜」と思うのは今も変わらないんですが、もし、それが達成されなかったとしても、落胆したり焦ったり、苛立つことが減った、という感じです。もしもお願いしたことがワークしなくても、「ああ、わたしの伝え方や教え方がこの人にはフィットしなかったのかな。じゃあもうちょっとコミュニケーションのやり方を変えてみようかな」というふうに、一発勝負ですぐアウト判定をしなくなったからだと思うのですが、これは指導する側/される側の双方にとって、とても良い効果があると思っています。

なにより、誰かを信じることができる、というのは自分の精神衛生上、良い影響がありますし、同時に「あなたはできるよ」と信じてもらっている状況、というのは、相手に安心を与えて、いらない緊張を解いてあげやすい。精神的な安心を与えることのメリットは、Googleが2012年に着手した生産性向上計画「プロジェクト・アリストテレス」でも言われていることです。

それは「気兼ねなく安心して発言したり行動できる環境を提供することが、もっとも生産性を向上させる」という調査結果でしたが、個人的には納得感があるものでした。
こんなこと言ったらバカにされるかな、ガッカリされるかな、と怯えたり、言動を否定されないか常に緊張していると、そのことにばかり労力を割くハメになって、本来の能力発揮にかける余裕がなくなってしまう。それってなんだか悲しいな、と思うんです。ちょっとくらい失敗したり間違えたり、そんなのしたってぜんぜんいいし、失敗に怯えることでその人の良さが発揮されなくなるのは、全体の幸福度を下げてしまう。もちろんリスクヘッジは必要ですが、そういう阻害要素はなるべく排除して、じゃんじゃん失敗してもいいよ、きっとあなたの得意なことは、どこかにあるよ、と信じて待つ、気長に待ちながらも、自分にできるところはサポートし、本人の離陸を見守る、という関係性を作る努力は、決して無駄にならないし、無駄にさせない、という強い決意を新たにした今日このごろなのでした。

で、なぜそんなことを思い出したのかというと、いま話題の「けものフレンズ」を観たせいなんですよね。あれも野生の世界で「自分のことは自分で守りなさい」と釘をさされつつ、サーバルちゃんはかばんちゃんのどんくささや慎重さを、決して否定しない。「きっとどこかにいいところがあるよ!」といっぺんの曇りもなく信じてくれているわけで、それに応じてかばんちゃんが自分の良さを徐々に発揮していく様子は、まさにこの考え方のとおりだな、と思ったのでした。

でも思いましたけど、あれはサーバルちゃんが自分独自の強みを理解していて、最悪自分は死なないという強さを身につけているからで、誰かに心理的安全性を与えるためには、自分自身も強くないといけないんですよね……。がんばらないといけませんね。

最後にHave a nice day!の「Blood on the moshpit」から引用して終わります。

ブルーハーツの歌う“決して負けない強いチカラ”とはいったい何なんだろうか
オレは最近それが“信じる”ってことなんじゃないかって思ってる
とてもシンプルなことだけど本当の意味でこれを手に入れることが出来る奴はごくわずかだ


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