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その人のために席をあけておくような

 誰かを大切に思う気持ちというのは、その人がいつ来てもいいように座れる席を用意しておくのと似ているな、と思いました。

 わたしにはひとり妹がいるのですが、わたしの誕生日にあわせて、彼女から贈り物と手紙が届いたんですね。妹とはそんなに頻繁に連絡を取ってるわけではないのですが、こういう節目には必ずやりとりをするし、いざというとき何も言わなくても通じ合うものがあって、ああ姉妹だなあと思います。
我が家はわたしが小学生の頃から母が入院しがちで家にいないことが多く、妹の幼稚園のお迎えに行ったり、クラブ活動を辞めて家事の手伝いをしたりしてたんですが、そのときも「わたしが家事の手伝いをすれば、妹は大好きなクラブ活動を続けられる」と幼いながらにお姉ちゃんぶって、自分に何があってもこの子のことだけは守るぞと決めていたことを思い出しました。
そこまで来るともはや母親みたいな心境になってて、彼女の結婚式前日に手紙を書いて「あなたはお嫁に行って、よその家に嫁いでしまうけど、一生わたしの妹だし、何があってもわたしは絶対に味方だからね」みたいなことを伝えたんですが、それはなんというか、たとえると自分の部屋の中に、彼女がいつ帰ってきても座れる席を用意しておくような気持ちでした。

 その椅子は年に1回も座られることはないんですが、彼女がその椅子に座らなければそれはそれで喜ばしいことだし、もし疲れることがあったら、いつでも座れる椅子がここにあるよというメッセージを伝え続けることで、彼女の支えになれたら、それでいい。そして、わたしも同じことをしてもらっている感覚があって、節目、節目のいちばんしんどいとき、「とりあえずあたしはおねえちゃんが幸せならなんでもいいから」と話を聞いて、味方になってくれたのは彼女でした。
わたしはダメな人間ですが、そこに行けば座れる椅子があって、怯えることなく休める場所がある、というのは、ほんとうに心強いことだと感じます。

 そして年齢を重ねてみたら、そうやって椅子を用意しておきたい相手がひとり、ふたりと増えてきて、わたしの部屋には様々な種類の椅子が置かれるようになりました。
すごく特別な椅子を用意したのに見向きされなかったこともありましたが、それは実際どちらでもよくて、椅子を用意しておきたい誰かと出会えた、ということそのものを喜びたいと思います。

 ただひたすらに、何があっても味方でいるよと思える人の存在は、それだけで特別です。わたしもそんな人になれたらいいなと思ったのでした。

初出:http://hase0831.hatenablog.jp/entry/2015/09/02/092642

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