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コラム①福祉ジャーナリスト町永敏雄さんの講演「認知症とともにあゆむまちづくりを」を聞いて

「認知症とともに歩むまちづくりを」――この人「に」何ができるかから、この人「と」何ができるかへ


福祉ジャーナリスト町永敏雄さんの講演「認知症とともにあゆむまちづくりを」(2024年5月11日)を聞いてきました。
この講演会は、「認知症の人と家族の会福島県支部」が主催、会の設立40周年を記念して行われたものです。
2023年6月に成立し、2024年4月から施行された「認知症基本法」。認知症の人が尊厳をもち、希望をもって暮らすことができるよう、認知症に関する施策を行うための理念が示されました。
町永さんは、「認知症の人と家族の会」の前身である当事者の会が初めて行われた1980年当時を振り返ります。
――それまでは家族だけで介護を抱え、社会から孤立せざるをえなかった。認知症の家族を持つ当事者の会が初めて行われたとき、自分と同じ思いをしている人たちがいる、ということの発見は希望につながり、すぐに当事者発の機関誌を発行するようになった――

認知症の人の心は生きている


2004年以前、認知症は「痴呆」「ボケ」という言葉で表されていましたが、その呼び方は「何もできない人」「何もわからない人」であったことを表していました。
昭和47年(1972年)に出版された有吉佐和子の認知症介護をテーマにした小説『恍惚の人』では、認知症である義父を「壊れた人」と表現し、詳細な描写によるインパクトも強く、世間の認知症に対する認識に影響を与えました。
一方、認知症の人と暮らす家族の方たちは当時から「ボケても心は生きている」という共通認識を持っていたと町永さんは話します。町永さんは、2012年、「認知症の人は何もわからなくなる病気ととらえられ、徘徊や大声を出すなどの症状だけに目を向け拘束などの不当な扱いをしてきた」と厚生労働省はそれまでの認知症対応の方向性を転換、2015年の「認知症国家戦略」を経て2023年の「認知症基本法」で共生社会の実現の推進を目指すようになったことを解説してくれました。認知症の当事者や家族、認知症の人と家族の会などの当事者団体が常に声を上げ、発信し続けていたことも強調していました。

犠牲者ありきの介護政策をあぶりだした『恍惚の人』

「認知症基本法」では、本人のみならず、家族等への支援が適切に行われるようにすることも盛り込まれています。
たびたび例を出しますが、『恍惚の人』の主人公、昭子は高校生の子供がいる共働き。認知症の義父の介護と仕事の両立に奮闘します。頼みの綱と考えていた老人ホームの入居はかなわず、私は仕事を持っていると訴えると、地域の福祉事務所老人福祉指導主事からこんなことを言われてしまいます。
「それは分かりますけど、お年寄りの身になって考えれば、家庭の中で若いひとと暮らす晩年が一番幸福ですからね。お仕事をお持ちだということは私も分かりますが、老人を抱えたら誰かが犠牲になることは、どうも仕方がないですね。私たちだって、やがては老人になるのですから」

犠牲にされるほうはたまったものではないですね。当時はまだ少なかった家庭を持ちながら仕事をする女性を主人公に置くことで、犠牲者ありきでの介護政策だった日本社会をあぶりだした小説。この作品の価値はここにあると私は思います。
誰かを犠牲にしないと人を大切にできない社会は幸せなのでしょうか。介護が必要になった人も誰かを犠牲にすることを望んでいるのでしょうか。


お互いが少しの配慮で

講演会で福永氏が紹介したイギリスのアルツハイマー協会の啓発ビデオでは、認知症の人の視点から、地域社会の人々が共生社会で、自分ごととして少しの配慮や、働きかけを行うことで暮らしやすい社会を作れるというメッセージを発していました。
若くて、健康で、正確で、「迷惑をかけない人」しか暮らしやすくない社会と、いくつになっても、お互いに少しずつ配慮ができることで、自分らしく生きられる社会。「認知症基本法」は、誰もが生きることに喜びを感じられる社会にするという願いが込められているのだと思います。
いくつになっても認知症の方々が、レッテルを貼られずに尊厳をもって社会参加できること。できるだけ自分の意思で介護サービスを選択し、生きていくことができること。年齢を重ねることが不安ではなく希望であること。年齢、性別、人種や環境によらず大切にされることは、誰でも許されなくてはならないものです。それが、若い世代にも社会への信頼感や幸福感につながることではないでしょうか。


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