「遠足の場所」から考えるモノゴトの考え方

遠足の場所を決定する

「遠足の場所はどこがいい?海と山のどちらかで多数決とりまーす!」

小学生の頃、先生にこんな質問をされたことがある。

「はい!では山に決定です。」

とすぐに決定するわけだが、これについて皆さんはどう思うだろうか。

僕の考えとしては、こんなことがあって良いはずがない。

多数決を否定しているわけではない。

例えば、選挙は多数決なわけで、むしろ最も合理的で効率的な決定方法だと考えている。

では一体、この遠足の場所の決定方法のどこに問題があるのだろうか。

議論検証することの重要性

問題は「議論検証がなされていないこと」に尽きる。

要するに、「遠足の場所として相応しいのはどちらか」という議論を展開しなければならないということだ。


①海の魅力に関するプレゼンテーション

②山の魅力に関するプレゼンテーション

③季節性、安全面、次期イベントとの兼ね合いなどから検証

④結論

例えばこのような流れで議論をしなければ公平性を保てない。

このような手順を踏むことによって、咄嗟に海に手を挙げた人間は山の魅了に気づき、山に手を挙げた人間は海の魅力に気づく可能性がある。

さらに数ヶ月後に控えている修学旅行先が沖縄だったとしたら、海に手を挙げた人間が、山に手を挙げていたかもしれない。

随分と結果が変わる可能性があるということである。

議論してはじめて有効となる「多数決」

このように、モノゴトの意思決定には議論検証が不可欠である。

似たようなシチュエーションはいくらでもある。

いきなり一切の前情報無しで多数決を行うと後悔する可能性が高い。

当たり前のことを言っているようだが、こういう手順を踏まずに適当に多数決を取った経験がある人も多いと思う。

僕個人の経験だけでも相当数あるからだ。

少なくとも保育園、小学校、中学校、高校、大学の全てで起こったことである。

奥さんに、今日何食べたい?和食?洋食?

というような日々のどちらでも良いようなことで時間を割く必要性はないが、少なくとも教育の現場や多くの人間が関わる事項においては、このような考え方を徹底すべきだと考える。

AとBどっち?

これは団体における意思決定のみならず、普段の生活におけるモノゴトの考え方において非常に重要である。

例えば、「NHKの受信料を払うか否か」ということについて議論したことがある人もいると思うが、大概の人はかなり偏っている。

「単純に受信料を払いたくない」

「あまり見ていないから払いたくない」

「周りも払っていない人多いから払わない」

こんな適当な理由しか持ち合わせていない人がいる。

Aなぜ払う必要があるのか

Bなぜ払う必要がないのか

これらを自身で議論をして咀嚼して納得した上で結論を出す必要がある。

スクランブル放送化した時の弊害はなにか、

地方などの民法の数が少ない地域への影響、NHKの持つ貴重映像の扱い、

国会放送や学校放送など視聴率は低いが社会的に価値のある番組の扱い、

Eテレなどの扱い

少し考えただけでもこれだけ問題がでてくる。

スクランブル放送化した場合、契約者を増やすために民法のようなバラエティー番組が増加する可能性は高いし、そもそもスポンサーをつける可能性もある。つまり、NHKの「何者にも左右されない放送局」という大義名分は失われる。そうなったら視聴率の低い国会中継などを放送するはずもない。

こういった問題について一度考えた上で、払う払わないの意思決定をすることによって自分自身の意見や行動に説得力を持たせることができる。

人からの見られ方すら変わる。

AとBどっち?という場面は人生において常にある。

適当に感覚で決めて良いのは特殊な才能を持った天才だけ。

凡人は大人しくロジカルに考えて確実に意思決定をしていくことが望ましい。









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