リクルートで5つ新規事業を立ち上げてフードビジネスで起業しました。
ごあいさつ
初めまして。株式会社DELIPICKS代表の谷澤悠実(やざわはるみ)と申します。会社では「おはる」「はる」などの愛称で呼ばれています。
昨年末に、3年半お世話になったリクルートを退職して起業しました。この事業には私の夢が詰まっています。どうしても情熱を抑えきれなくて、何度も悩んだ末リクルートを独立しました。
何よりも一番に、私を信じて1年間疾走してくれたチームを心から誇りに思います。みんなのお陰で、アイデア決定から70日間で販売開始というスピードを実現しつつ、焦らず丁寧に検証を進めることができました。最近は「無報酬でいいから働きたい」という勿体ないお言葉まで頂戴するようになり、ようやく”初めの0.2歩”くらいは踏み出せた気がします。
この記事では、私という人間のこと、リクルートで得たこと、「食」ビジネスに込める想いについて書きたいと思います。そして少しでも興味を持っていただけた方は、記事末尾の求人からぜひご連絡ください!
(オフィスが無かった頃、空いてるカフェの端っこガラスを借りて議論。)
「仕組みづくりがしたい人」としての27年間
最初に、簡単に自己紹介をさせてください。
私は、仕組みづくりに情熱を持っています。仕組みづくりとは、「社会構造の汚い/非効率な/無駄なところを壊して、よりシンプルでキレイな構造に変えること」です。川で例えると、水を流すこと(価値の移動)や水を綺麗にすること(価値の向上)よりも、水が空中で移動する仕組みをつくること(価値の創造)に関心があります。
そう思うようになったきっかけは、ランドセルだったかもしれません。幼少期は日本が”貧困層”と定めるよりも少し下の水準(世帯年収200万円6人家族)で過ごし、納豆1パックを6人で分けて食べる生活をしていたのですが、1度だけどうしても贅沢したいと思った瞬間がありました。それは、真っ赤なランドセルに憧れた時でした。
「ランドセルとわたし」という怪しいタイトルの絵を親戚に配ったり、サンタさんに手紙を書いたりして、待ち焦がれた晴れの日、12年間使い古されたペチャンコの”塊”を手渡された時は、声にならない悲鳴をあげて押入れに駆け込みました。そんな私を見て、母は泣きそうになりました。誰も悪くないのに、なんて理不尽な世界だろうと思いました。
(祖父母家と共同で使ってた五右衛門風呂。ナメクジが多くて、冷たくて、汚くて嫌だった。)
今となっては全て懐かしい笑い話ですが、そういった経験のおかげで自然と「望めば選択できる仕組みを作りたい」という野心が芽生えました。
だから正直いうと、起業した今でも、IPOやM&Aといったイグジット目標自体にはあまりワクワクしません。お金持ちになりたいと思ったことも、出世したいと思ったこともない。自分の頭の中に描いた理想の仕組みで社会を変えて、その仕組みを使ってくれた人々が幸福になるのを、ただ見てみたい。アメリカの大学で猛勉強した4年間も、リクルートで規事業開発に全力投球した3年半も、起業した今も、このシンプルな衝動がずっと自分を突き動かしてくれました。
UCLAを卒業して、リクルートに入社する
仕組みづくりがしたいと気づいた時、自分のいる世界の外側から社会を学びたいと感じ、(奨学金と学生ローンをかき集めて)18歳の時に渡米しました。
(貪るように吸収してた時。ここでは星の問題を解こうとしていた。)
大学では複雑系科学を中心に、天文学や社会科学など、好奇心の赴くままに自由に学ぶ機会に恵まれました。しかし、授業以上に重要な学びは、恩師が定期的に開催してくれた1対1のディスカッションの中にありました。彼は私に、「法・学問・経済が等しく社会に影響するのではなく、経済が差別的に世界を変える。その中でも、プラットフォームが唯一独占的であることを覚えておきなさい」と教えてくれました。
この教えが指針となり、OPTプログラムを活用してL.A.のBCGで働きながら世界中のプラットフォームについて調べました。Amazon、Skype、Facebookなど、まるで進化の法則を完全無視した新種生物が突如発生・繁栄するかのように常識を塗り替えていく実態を知るほど、脳ミソが沸騰しそうなほど興奮したのを覚えています。
そうしてプラットフォームへの思いが高まるタイミングで、尊敬する同期が誘ってくれたリクルートにエントリーしました。そして当時出会った会社の中でリクルートが一番「ヒト・モノ・カネ潤沢なのに新規事業に餓えた会社」だと感じ、仲間に入れてもらいたいと思いました。
最年少で新規事業を担当させていただく
配属先は、新規事業開発室でした。リクルート住宅領域の事業開発は外資コンサルや起業家出身のシニアプロがメインの組織で、新卒が配属されるケースは初めてだったため、3月に通知書をもらって驚きました。
色んなキャリアがありますが、私はあの年にリクルートに入社し、新規事業開発室に配属していただき、無数のチャンスをもらえたことの奇跡に、死ぬまで感謝し続けると思います。
卒業までに、5つの新規事業の立ち上げとグロース、グローバル企業提携などを担当させていただきました。
(卒業の日にチームがくれた”勝負”の赤い花。思い出すとうるうるする。)
1年目:なぜ家事代行プラットフォームで失敗したのか
1年目は、家事代行マッチングプラットフォーム(米国でいうhandyの様なサービス)の立ち上げを担当しました。
何を隠そう、私は“超”が付くほどの片付け下手で、同じタスクをこなすのに人の何倍も時間がかかってしまうという欠点があります。だからこそ、初めて家事代行を頼んだ日はあまりの便利さに感動しました。家事のアウトソースという新しい選択肢を提案するために、絶対に成功させたい!と鼻息を荒くして挑みました。
しかし結論から言うと、そのサービスは10ヶ月後に事業撤退が決まりました。敗因は大きく2つあったと考えています。
1つ目は、KPI設定です。具体的には、立ち上げ段階でLTV最適化を前提としたサイト構造、データ構造、マネタイズ設計をして“いなかった”ことで、PMFが間に合わなかったということです。初期から低いLTVがPLに乗ったことで許容CACが下がり、結果としてSEOで利益改善したり、SUUMOアセットを使った不動産提携でエコノミクスを改善したり、誤った短期施策に繋がりました。
2つ目は、タイミングです。リクルートのような大資本の視点で考えると、そもそもPMF前のドメインに参入しリスクを取るメリットがありません。特に、スイッチングコストの低いC向けドメインでは市場が成熟するまで待ってから資本力でレバレッジをかけてトップラインを伸ばす戦略が正解です。地道にPMFを目指すフェーズのマーケットに参入したこと自体が、リクルートの求めるスケール感と根本的に矛盾していたと思います。
今だからこそ冷静に当時を振り返れますが、あの時の鬱々とした空気感は忘れられません。「あれ、これ構造的に無理かもしれない」と薄々感じながら突き進む違和感、止まる暇なく肥大化するオペレーション課題、疲弊するチーム、短期化&局所化する意思決定。そういう”失敗の予兆”をたっぷり肌に感じつつ、最後は「やっぱりか」という納得と共に脱力しました。
2年目:潰れかけの主力事業を3ヶ月でV字回復
「失敗した谷澤は異動になるのでは」という噂も耳に入りましたが、2度目のチャンスをもらえたので、迷わず飛び付きました。
(企画は2〜3名のプロダクト中心のチーム!V字回復期はこれの1/2くらいの人数)
2度目の挑戦は、設立5年目のミドル事業のV字回復でした。売上が昨年の1/2近くまで急落しており、3ヶ月後の繁忙期までに回復できない場合は撤退が濃厚でした。予算から逆算すると、「広告売上を10倍に増やしながらCPAを下げる」という奇跡を成立させないと実現しない目標でした。
やったことはシンプルで、代理店アウトソース型の運用体制から完全インハウス型の運用体制へ切り替えて、自身がマーケティングのプロとなり運用を回しましました(リクルート国内事業では完全インハウスは初だったと聞きます)。具体的な施策は割愛しますが、結果的に1年間で国内外の主要イベントの登壇に呼ばれるくらいの専門性が身につきました。
結果は想像以上で、3ヶ月後に広告売上が15倍に増加し、CPAは75%にコストカット、半年後にはサービス史上最高売上高を記録しました。1年後にはSEO売上も2倍になり、立ち上げ5年目とは思えないほど綺麗なV字回復に成功しました。事業が回復したことは勿論、何よりチームが最高でした。クリスマスと大晦日も血眼になって戦略を練った日々さえ最高に楽しかったです。
この話しを他部署の方にすると、「事業開発室がそんなにアツい仕事してたなんて知らなかった」と言われます。この熱気は中でしか味わえない。事業フェーズ毎に違った苦悩がありますが、私は0-1と1-10に特化したキャリアだったから、全てのスタートアップを無条件に尊敬しています。
3年目:記憶が飛ぶまで働く
3年目からは兼務が5つに増え、同時に副業も始めていたので第2・4週末は海外にいました。
今振り返ると、当時は何かに追われるかのように仕事を詰め込んでいました。私が入社した年には10%程度だった海外売上比率が3年間で50%弱にまで急増し、その影響でリクルート内部が激変し、いつまで恵まれた環境で国内新規事業をつくり続けられるか分からないと、本気で焦っていました。
(卒業を決めた時に行った六義園。考え事する時行くとホッとする。)
またこの頃には、食で社会を変えたいという想いが固まりつつあり、やるからにはとことん大胆に、スピードに妥協せず、最高のタレントを集めてやりたいと思い始めました。
だから昨年末に、「アイデア無し・仲間無し・お金無し」の若葉マーク3点セットでリクルートを退職して起業しました。もっと準備してから辞めることも考えたのですが、足元の仕事がパンク状態だったため、まずは辞めてから考えようと思いました。
なぜ「食」で起業したのか
理由はたくさんありますが、一番の理由は自分自身が大学時代に食生活を変えて人生の質が劇的に上がったからです。
前提の話しをするために、少し脱線します。因果関係の解釈は出身学問や価値観によって多様ですが、私は「(自然界において)モノゴトXの影響はネットワーク的に広がる」というスタンスを持っています。だから「A、B、Cがあれば幸せになる」ではなく、「始点Xがネットワーク的に影響し個人の幸せに影響したりしなかったりする」という解釈を持っています。
(ネットワーク的な影響の広がりの概念図)
私の場合、始点Xは「食生活の変化」でした。食生活を変えてから、食後の気だるさから解放されて勉強中/仕事中の集中力が上がったり、睡眠の質が上がって疲れが溜まりにくくなったり、体型が変わって自信が持てるようになったり、肌や髪のトラブルが改善されて気持ちが前向きになったり、数え切れないほど多くの変化を体感した結果、人生の質が劇的に上がりました。
具体的にやったことは至って普通で、「普段は食べたい物を食べながら、1/3くらいは健康に気をつけたものを食べる」だけで、決して厳しい食事制限ではありません。
食事でなぜ人生が変わるのか
①心が変わる(脳腸相関)
私たちが幸せを感じる際に分泌される神経伝達物質であるセロトニンの9割が腸管で作られており、新たなセロトニンの生成には腸内フローラが関与していることがわかっています。腸内環境と脳は互いに影響しあい、これを「脳腸相関」と呼びます。
私が食生活を変えた時にはこの知識を持っていませんでしたが、健康に気を遣うようになって、明らかに毎日の精神状態が良好になったことを覚えています。
②身体が変わる
食事を変えると、数週間で体重の変化を実感します。自他共に認めるナチュラル・ボーン・食いしん坊な私は365日ダイエットをしていましたが、食生活を変えてからはお腹いっぱい食べても自然と体重が落ちました。
また筋トレの効果が高まり運動量が増えたことでテストステロン値が上昇し、これもまた自身のメンタルにプラスに影響しました。
③肌と髪が変わる
直接的な因果はわからないですが、顔が真っ赤に膿むほど酷かったニキビは消え去り、手を通す度に切れていた弱々しい髪は強くなりました。
ある日突然、見ず知らずの女性から「Your skin is like a flower (あなたの肌ってお花みたい)」という素敵すぎる言葉の贈り物をもらった時は、嬉しくてハグしました(笑)。
実現したいこと
現在はステルス(サービスを公にPRしていない状態)ですが、以下のような方角に向かってサービス開発をしています。
其の1:「多品種少量生産」でスケールする仕組みをつくる
・糖尿病患者だけど、超美味しいスイーツを食べたい人
・子供がアレルギー持ちだけど、自炊以外の選択肢が欲しい人
・時間がないけど、コンビニご飯じゃ嫌な人
人々のニーズは多様化していく一方ですが、食産業は歴史的に”少品種大量生産”の構造を辿ってきました。これは構造的に矛盾しています。
私たちは、ニッチな食事を求めている人たちが、ニッチな食事に出会える仕組みを作りたいと考えています。
其の2:”咀嚼”以外のタスクをなくす
食べるという行為に必要な作業(思考、移動、購入、持ち運び、調理/準備、咀嚼、片付け)のうち、咀嚼以外の全てが任意になりうると考えています。
例えばスイーツ好きの糖尿病患者がいたとして、彼女が日本中の糖質制限スイーツを食べ回るよりも先に、我々の方から日本1美味しい糖質制限スイーツを提案することが可能です。
忙しいママが献立を一切考えることなく、1週間の献立を計算し、家族分の食事を自宅に届けることが可能です。
少し抽象的ですが、私たちはこのようなことがしたいと考えています。
一緒に食の未来をつくる仲間を募集中!
色々想いを書き殴ってみましたが、いよいよ終盤です。食の未来を変えるための仲間を募集中です!
・命のど真ん中の変革
・ニューリテール領域での新経済圏の創出
・DHフードを起点とした人類の幸福レベルの底上げ
これらのキーワードが刺さった方はぜひご連絡ください。現在は3つのポジションで積極募集中ですが、それ以外で応募いただいても大丈夫です。ご活躍次第でCXOへの昇格もオープンです。
オペレーションマスター
単純作業ではなく「サービス」としてのなめらかなオペレーションの設計を担う、事業の中核となるポジションです。ロジスティクスのフロー設計・改善の経験がある方、またはそれに近い経験をお持ちの方は大歓迎です。物流哲学に明るく、発想が柔軟で、チーム・ビルディングを大切にする方がフィットすると思います。
PdM出身のBiz/Devリーダー
プロダクトロードマップやKPIマネジメント等のPdM業務のみでなく、CEOの右腕として、事業戦略策定、コーポレート・ガバナンス、アライアンスなどのBiz業務を高レベルで自立自走できる方を募集します。過去の肩書きよりもこれまで乗り越えて来たハード・シングス、各論の理解の深さ、苦しい局面での誠実さなどを重視します。
バックオフィス・アシスタント
社長秘書、事務作業、調査業務など、会社を支える基盤業務をまるごとお任せできる方を募集します。性別・年齢は問わず、やる気と誠実さを重視します。フルタイムでなくても、週2からご相談可能です。
【連絡先】
Twitter:https://twitter.com/Hamsubter
勢いで書きなぐっていたら、めちゃめちゃ長くなってました・・・。こんな長文に最後まで付き合ってくれた優しいあなたに、素敵なNew Yearが訪れますように!
(ちなみに私は今、雪山の上から投稿しています。さ、寒い・・!)
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