どこにだっていけちゃうね
今週は何だか慌ただしかった。
火曜日の夕方、裁判のことで弁護士さんと電話をした。
私は子供の頃に兄から性的虐待を受けたことが原因で、今も複雑性PTSDを患っている。そのことで兄と両親を相手に裁判をしている。相手から反論書面が出てきたので確認をした。一人では負担が大きすぎて希死念慮が出てしまうので、弁護士の先生と一緒に読み合わせをする。一週間ほど前から、書面の確認に備えて主治医の先生に抗うつ剤も出してもらっていた。カウンセリングも予約した。できる限りのことをしてこの日を迎えた。
複雑性PTSDから派生して鬱の症状が出てしまっていたので、長いこと休職をしていたが、辛くて暗いトラウマ治療期間を経て、ゆっくり休んで最近復職をした。最近は明るい気持ちでいれることが多かったが、この日を迎えるのが怖くて一週間ほど前から自分に「私は⚪︎日にまた地獄に落ちる。」と繰り返し唱え続けることで、どうにかダメージに備えて耐えられるようにと祈っていた。
相手方から提出された書面を見ての感想は、また嘘ばかり書いてきた。と、思ったが、1箇所とても落ち込む記載があった。私の親しかった親族が相手方の弁護に回るという内容だった。こちらの味方だと思っていたので、後ろから突き落とされたような気持ちになった。あー私って本当に天涯孤独なんだなと絶望的な気持ちになった。(実際には相手方は応諾をしていなかったというオチはあるが)
家に帰って息子とテレビを見ながら夕ご飯を食べたが、珍しく食欲がない。ぼーっとテレビを見ていたら涙が出てきてしまった。あ、しまったと思った。まだ息子は大人ではないので、負担をかけたく無いから、私が泣いているところを見せたくなかったのだ。でも、息子は慌ててティッシュを二、三枚取り出して私の顔を拭ってくれた。ホッとしてまた涙が出てしまう。優しさが嬉しいのと申し訳ないのとで複雑な気持ちになる。
その後、私が性的虐待を受けてたことを知っている友人に電話して、話を聞いてもらって少し落ち着いた。
その日は起きててもいいことがないと思って、薬を飲んでさっさと寝た。
翌日、昨日の夜電話をした友人がちょうど実家に帰ってきていたので、ランチを食べに行った。
私はスパークリングワインを友人はビールを飲みながらランチを食べた。
横の席には赤ちゃんを連れた若い夫婦が食事をしている。赤ちゃんは少し機嫌が悪いようだった。
食事を終えて、坂道を登った。途中のセブンイレブンでアイスラテを買った。5月にしては暑い日で歩きながら、冷たいアイスラテを飲んだ。すっと暑さが落ち着いた。
芝生の広場がある公園に到着した。石のベンチに腰掛けて、太陽を背中にして落ち着いた。影が足元に伸びている。
それから私たちはひたすらそこでおしゃべりした。裁判の話や病気の話ではなくて、仕事の話をずっとしていた。私は少し発達障害の性質があるので、うまく必要性の低い情報を無視するのが苦手で、何でも気になってしまう性格なのだ。今、仕事で気になってることを沢山話した。うまく意思疎通ができていない立ち上がったばかりのチームはどうしたらまとまるのか、リーダーが複数人いて、意見が食い違っている場合のいい役割分担、もしくは配置の考え方、根本的な問題点は何かを議論した。2人とも夢中で話していた。
背後にあったと思っていた太陽が少し横に移動して、友人の顔の片側を照らしている。友人は元々は白い肌をしているが、少し日焼けしているように見えた。もう、夏がそこまで来ている。
ふと、iPhoneを持ち上げて時計を見るとあっという間に3時間経っていた。日は落ちかけていて上着を羽織っても少しひんやり感じるくらいだ。
何かに没頭している時間や何かをひらめく時間はとても楽しい。普段の悩み事さえ、この楽しみのネタになってしまう。
ほとんど日が落ちて、夜の気配に街が浸かり始めたのを感じながら駅前に向かって並んで歩く。空気は冷たいが、何だか気持ちはあたたかい。
誰かと過ごすいい時間は日常を照らしてくれる気がする。きっとどんな人も孤独な部分を持っていると思うけど、だから余計に、誰かと気持ちが通じ合ったように感じる時にじんわりと感じるものがあるのだろう。
翌日はひたすら寝て寝て寝まくった。嫌な夢も見た気がするけど、そんなのどうでもよかった。飼っているわんこが、私が寝相を変える度に、すりすりと寝相を変えながら擦り寄ってくる。
次の日は食べ物イベントに行った。会場は人で溢れていて、ライブをしていたり賑やかだけど、なんだか虚しくて早く家に帰りたかった。
そして今日は家から2時間ほどかけて森の中にある公園に行った。電車を乗り継いで、バスに乗り換えてようやく着いた。
森の中は歩いているだけで気持ちよかった。葉っぱや土のにおいがした。木々の間の小道を抜けると、ひらけた原っぱに出た。太陽に照らされてじんわりと汗が出る。なだらかな丘の上にはちらほらと白い花が咲いている。小さい蝶々がひらひらと花の上を飛んでいる。ところどころに小さいテントが置いてあり、家族連れがおにぎりを食べている。
息子が遊具で遊んでいる間、私は木陰にレジャーシートをひいてごろごろした。周囲からは楽しそうな子供たちの声が聞こえる。大きな犬が舌をだらんとたらして、はっはっと息をしている音が聞こえる。ちらちらと飼い主の顔を見上げている。キッチンカーで買ったアイスコーヒーを飲む。透明なプラスチックのカップの表面は気温が高いから汗をかいている。木陰を抜けるそよ風が心地よい。
閉園時間までしっかり遊んで、また長い道のりをかけて家に向かう。スマホでアニメやドラマを息子と見た。あっという間に2時間が過ぎて、都会に戻ってきた。
息子と電車の中のディスプレイを見上げて、もうすぐ家の近くの乗り換え駅に着くことに気付いた。
「あっという間だね」
「ね、アニメとか見てるとすぐ着いちゃうね」
「スマホとゲームがあればあっという間だね」
「もうどこにだっていけちゃうね」
息子も私も何だかうれしかった。
子供が小さい時は一気に行動範囲が小さくなって、とても辛かった。実家だけど家の中で虐待を受けていた私は家にいるのが怖かったし、落ち着かなかった。
でも今は、治療を経て家も好きになった。安全な場所を作ることができた。息子も大きくなって、遠くにも行けるようになった。
どこにだっていけちゃうね。
そんな言葉を口にできる今日をとてもうれしく感じた。(おわり)
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