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【完璧じゃない発信者は悪である〜人の期待に左右されない自分になる〜】


食育の発信をしてると
知らないところで生まれる理想像

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食育発信者は添加物は食べないし家の食材もオーガニックだし
グルテンフリーで毎日きちんと食事を作っている

もちろん子どもに市販のお菓子なんて食べさせないから手作りなんですよね


私に対してよく持たれるイメージで
よく頂く質問なんですが

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え?添加物?普通に食べますけど?
子どもに市販のお菓子?あげますけど?

私は小麦アレルギーだけどパンとかパスタとか
うどんとか大好きだし食べますけど?

野菜とかスーパーで買いますけど?



これがリアルな私です。

SNSでも発信はしたことがありますが
添加物はアリかナシかと聞かれれば

私は全然アリ派。


大切なのは優先順位をつけることだから

お腹が空いて死にかけているのに差し出されたコンビニおにぎりを

「添加物入ってるから無理です!食べません!」

とか言ってる場合ではないからね。

子どものお菓子にしろ外食にしろ何にしろ

今、1番優先すべき大切なことは何か?
を考えて目の前の選択肢を最大限に広げ

それを選ぶ時のメリットとリスクを比較する

これが私の食におけるリスクマネジメント

しかしこういう発信をすると一定数ですが
離れていく人、批判してくる人がいます

そしてご丁寧にメッセージ付きで

「ガッカリしました」とか
「説得力がない」とか
「そういう発信はやめてください」

と連絡がきます

そしてその大半がなぜか食のことだけじゃなくて
私自身の人間性をそものもを否定してくるw


そんなときにいつも私が思うこと

食の大切さを伝えている春和が
添加物を食べたらそれは悪なのか?

説得力がなければ発信はしちゃいけないのか?

説得力の部分で言っちゃえば

そもそも、私は食の大切さや
健康・予防医学を広める活動をしていますが

難病患者です。



この時点で条件的にアウトになりますよねw

今の医学から言わせると健康とは程遠い
体を私はもっています

だけど

健康な人じゃないと健康を広めちゃいけないのか?
食の大切さを伝える人は完全に無添加のものや
無農薬で無化学肥料で非遺伝子組み換えの
在来種の野菜しか食べちゃいけないのか?

もし私が添加物を肯定したことによって
今までの発信全てが矛盾している
悪であるというならば
それはそれで仕方ないのかもしれない

だから

想像していた人と違った
こんな人だと思わなかった

と言われたとしても受け入れる
(っていうか氣にしないようにする)

けれど、それは相手の中にある私の理想像であって

私の意思や行動は
全く関係のないことです

もしも私の発信に対して何か思うことや
モヤモヤすることがあるなら
それを感じたままに自分で発信することが
きっと自分の不満や不安を解決する
糸口になるんじゃないかと思います。

そして、考え方や価値観は一人一人で違うこと
それに対して攻撃したり文句を言うより

「この人はこう言う考えなんだな。私はこういう考えだけど。」

これでいい。

他者の価値観を認められることは素敵なことだし
そこに盲信や思い込みは必要ない

「○○さんはきっとこうって言ってくれる」という
期待も必要ありませんし

私は人の期待に応えるような生き方をして
自分のスタンスを崩す氣は全くありません

善も悪も、良いも悪いも、正解も不正解もないこの世界で
あなたはどうやって生きていくか

自分自身に問いかけてみてください。


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